【 vol.3 】
あまたある寿司の薀蓄本の元ネタは?
小社は蕎麦関係の本は得意としておりますが、すしとなると正直なところあまり出版点数がありません。
最近では銀座「鮨処おざわ」主人の技術を紹介する『すしの技 すしの仕事』、 別冊OYSYシリーズの『すし』 (ちなみに本文イラスト担当はテレビドラマ「キッパリ!」の原作者さん)あたりでしょうか…。
しかし忘れてならないのが、すし業界の金字塔ともいうべき重要書籍、篠田統先生の『すしの本』です。
前回李盛雨氏の恩師として登場した篠田先生は、食物史の大家としてこの世界で知らない者はおりません。本書はその著書『中国食物史』(柴田書店)と並んで名高い、料理史研究の古典的名著です。
1966年に初版が出たあとわずか5年で12版を重ねて改訂増補、93年には新装復刻しました。いまは岩波現代文庫に入っています。
もともと理系だった篠田先生は、すしを調理学、生化学、食物史の3点から総合的に捉えようとしました。そうすることで、難しそうなテーマを難解に説くのが学問だと思っている学者たちの視界には入らない、すしというジャンルに、光を当てようとしました。
増補版の序文には、「日本中のだれもが知っている「すし」のように身近なものでも学問の対象として立派に通用するし、また実際、秘伝ばかりに頼って学問的の綿密な研究を怠ってはその進化、発展は困難であること、ならびに、その研究結果を表現するのには日本中のだれもが使う言い表わし方で十分であることなどを、この本で示したかった」とあり、パイオニアの意気込みと苦労がしのばれます。
ただし握りずしにしか興味のない人には、この本はあまりお勧めできません。というのも、篠田先生がすしに関心をもったのは琵琶湖の鮒ずしとの出会いからで、その研究目的はすしの歩みと広がりを掘り起こすことにありました。日本各地に伝わる様々なすしの種類や分布を紹介し、中国に始まるすしの歴史を解き明かすなかで、江戸時代に誕生した握りずしについては全体の10分の1も触れておりません。
しかし篠田先生は握りずしを軽視していたわけではありません。関西人である自分よりも江戸前ずしを語るのにふさわしい人がいるだろうと、道を譲ったのです。
篠田先生が握りずし研究を託したのは、日本橋吉野鮨本店の吉野昇雄さん。野口元夫の芸名を持つ俳優でもあり、映画「タンポポ」にも出演している異色の寿司店主人です。吉野さんが亡くなる半年前の1990年に出されたのが『鮓、鮨、すし―すしの事典』(旭屋出版)で、こちらは歴史文献を集めるとともに昔を知る同業者に取材した、握りずし学の集大成です。篠田先生の薫陶を受けたことが序文で語られ、巻末には先生との対談も収録しています。
その後、発酵文化と郷土食という視点からすしをとらえる篠田先生の研究は、『すしの歴史を訪ねる』(岩波新書)などの著作がある日比野光敏氏に受け継がれました。すし店主が仕事の内容や自分史を語る本も増えました。いっぽう握りずしの歴史をさらに深く追いかける作業はというと、吉野氏以降ほとんど進展していない印象をうけます。90年以降、すしマニアが薀蓄を語る本は枚挙にいとまがありませんが、どれもこれも篠田・吉野両氏の成果の丸写しです。
その一例を挙げましょう。最近江戸時代のすしを再現するという企画をあちこちで見かけますが、その典拠になっているのが1910(明治43)年に書かれた『家庭鮓のつけかた』です。1825(文政7)年頃に握りずしを発明したという説もある老舗「與兵衛鮓」のレシピをイラスト入りで細かく紹介したもので、当時のすしの実態がわかって実に面白い資料です。吉野氏の解説つきで1989年に主婦の友社より『偲ぶ與兵衛の鮓』というタイトルで復刻もされています。
かつての江戸前ずしはすし種を醤油に浸けたり酢で締めたりとひと手間加えてあるため、つけ醤油はいりませんでした。またすし飯に砂糖を加えないのが一般的でした。
そうした古い姿の江戸前ずしがこの本からうかがえます。
しかしだからといって、明治も末の本のレシピで「江戸時代のすしもこうでした」というのは短絡的すぎやしないでしょうか。この本に収録されている握りずしの図版は、1877(明治10)年開催の内国勧業博覧会に出品された絵の再利用であることが、吉野氏の調査で判明しています。そのため、なんとなくレシピも明治10年のままだろうという誤解を招いたようです。
すしの展示というのは奇妙な感じがしますが、日本の産業をアピールする目的で開かれたこの博覧会では、特産品から最新機械まで、国産品ならなんでもかんでも出品されていました。さらに分厚い出品解説書が作られまして、こちらも復刻版がありますし、オリジナルも古本屋で見かけます。試しに開いてみたところ、與兵衛鮓のレシピがちゃあんと載っておりました。
明治10年の與兵衛鮓のレシピと43年のレシピを比較すると、まずすし酢の配合比が違うことがわかります。43年のほうは酢と塩が同割で塩がずいぶん多いのですが、10年のレシピでは2対1でむしろ現在に近い。それでいてカスゴダイやアジの場合、塩と酢に浸ける時間が、10年では43年の倍の1時間。エビは20分間(!)をかけてゆでるのはどちらも同じですが、43年のレシピでは塩をあてて15分から20分間おいた後、酢に20分間浸してから三杯酢に1、2分漬けるのに対し、10年は1時間20分も塩をあてておく一方で、酢で洗うだけで、さらに三杯酢ではなくミリン醤油で調味した酢にくぐらせています。
保存のためなのか、明治の初めのほうが塩味、酢味が突出していそうです。
ところが大正時代の末に実際に與兵衛鮓を食べた吉野氏によると、菓子のように甘かったそうなのです。たとえ老舗の名店といえども、時代に応じて常に変化しなければならなかったのでしょうか。