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料理本のソムリエ [ vo.4 ]

【 vol.4 】
ワンダーランド、謎多き築地

06002.jpg 先日、会社にラーメン店のかたから電話がありました。
つけ麺のスープ用にウルメイワシの煮干しを大量に仕入れたく、その入手方法を知りたいとのことです。畑違いの本にもかかわらず、小社刊の『だしの基本と日本料理』を読んで勉強されたそうで、嬉しい限りです。

 ちなみに小社にはそうした熱心なラーメン屋さんに向けた、『プロのためのラーメンの本』 『プロのためのラーメンの本2』という別冊もございます(PR)。
『プロのためのラーメンの本』には、だし素材の図鑑を載せておりまして、そこにあるようにウルメイワシの煮干しは近年品薄なのです。

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 このラーメン屋さんは築地の鰹節屋さんに連絡したが、そこは鰹節専門だったため、残念ながら扱っていなかったそうです。そもそも東京の鰹節店はそば店が上得意なので、品揃えもそば向きのものが多いですね。かびつけをしていない裸節は関西、煮干しは中京の問屋が積極的に扱うなど、だし素材には地域差があります。

 最近は、食材は何でもかんでも築地に集まると考えられがちですが、必ずしも築地がナンバーワンとは限りません。海産物でも車エビや海苔など、昔から市場外流通が中心のジャンルもありますし、場内の鮮魚においても、築地といえども取り扱う魚種に地域色があるのです。輸送に時間がかかる地域の鮮魚は、商品力に乏しいですから、高値がつかない限り、積極的には取り扱いません。東京のマーケットでは高値がつくのは何と言ってもすし種。逆にすし種に使わない魚種、たとえばハタ科の白身魚などについては、築地市場は弱い印象を受けます。

 築地はテレビや雑誌に多く紹介されるようになりましたが、こうした実態は必ずしも理解されていません。築地で食材を仕入れさえすれば、材料費を惜しまない素人のほうがプロよりもおいしい料理が作れると豪語する、神をも(料理人をも?)恐れぬ本すら現れています。築地神話は肥大化する一方です。

 そうした一方で、市場内から自らについて語り、築地とはどんなところなのか、理解してもらおうという動きが出てきました。今年2月に出版された小山田和明氏の『聞き書き築地で働く男たち』(平凡社新書)は、築地で働くさまざまな業種の大先輩にインタビューし、過去を振り返ってもらったもの。失われていく貴重な時代の証言です。マグロのような派手な世界だけでなく、練り物だの、小揚げ(競りの荷役)だの、ターレットトラックや台車だのといった市場を構成する様々なジャンルに目配りされている点で、他書の追随を許しません。ただし、それだけにマニアックで、市場に関する基本知識がないとその面白さを味わいきれないところがあります。

tsukiji_3.jpg 築地に関する基礎知識はどうやって仕入れたらよいか。ほぼ同じ時期に仲卸し3代目の生田與克氏が『たまらねぇ場所築地魚河岸』(学研新書)を出版しております。ただし、これは全体に妙なべらんめえ(江戸弁?)の語り口で書かれていてちょっと読みにくい。しゃべり口調は生田氏の持ち味のひとつですが、大修館書店から出した『築地魚河岸ことばの話』のほうが、一文一文が短いために読みやすい仕立てになっています。こちらはオールカラーという贅沢な造りの用語集であるため、知りたいことが端的につかめます。もっとも用語集なので、一から筋道立てて知りたい人には不向きですが。


 がっつり築地について学びたい人には、ハーバード大の人類学者による『築地』(木楽社)が3年前に出版されています。日本人なら見落としそうな一見当たり前のことまできめ細かく調べ上げていますが、かなりの厚さで学術的。市場に出入りしたことがない読者は、やはり生田氏の新書から入門したほうがいいかもしれません。

 ひとつ難をいえば、これらの本は歴史の解説に若干物足りないところがあります。何代も続いている店も少なくないため、当事者たちにはばかったのかもしれませんが、築地誕生のいきさつは、現在の移転問題を考えるためにも知っておくべきことだと思うのですが…。なにしろ移転問題を問う政治家アンケートの中に「市場が移転すると日本の食文化の伝統が破壊されてしまう」という回答があったのには驚きました。移転が原因で破壊されてしまう程度の伝統なら、日本橋から移ったときにとっくに失われていることでしょう。

 日本橋魚市場の移転は明治時代からの懸案事項でした。それは衛生問題や狭さの問題もありましたが、魚の輸送に鉄道を利用するようになったという点も見逃せません。大正時代の東京案内書を読むと、貨物で運ばれてきた魚を上野駅、東京駅、両国駅から、いちいち運び込んでいたとあります。そのため大正後半には、品川から東海道線を引き込めるうえに、大型船も横付けできる芝浦の埋め立て地に移転することが一応内定したのですが、反対が多くて迷走。関東大震災直後に、とりあえず仮設市場が置かれたのですが評判が悪く、海軍跡地の築地が急浮上したのです。

 ところが建設に時間がかかったうえに、市場関係者の既得権をめぐって揉めに揉め、仮営業の状態が昭和10年まで続きました。オープン後も不買運動が続いたすえ、16年には配給制度が始まるので仲買制度は廃止されてしまいます。戦後は戦後で物資不足。統制経済が解除された25年になって、ようやく築地は本格稼動したと言ってよいでしょう。

 ちょうどこの年刊行の岩波写真文庫の『魚の市場』を見ると、魚は木樽や木箱で運ばれており、現在の築地とはだいぶ様子が違います。市場に入荷する魚の半分は鉄道で、残り半分は船で届き、トラック輸送はたったの5%です。いまや輸送手段はトラック中心ですから、湾岸の豊洲のほうが道が混まなくて便利という意見はたしかにその通りです。
 なお戦前、戦中の築地をめぐる騒動については、尾村幸三郎氏の『魚河岸怪物伝』(かのう書房)から断片的に知ることができます。この本は小山田氏の築地で働く人たちが語る自分史とはちょっと違って、市場の大物たちの列伝です。人物にスポットを当てているため体系的ではありませんが、動き出した築地がどれほど多くの難問を抱えていたかは実感できます。

 かつての昭和の移転は実に時間がかかりましたが、荷主へのリベート請求や偽の相場情報を流すといった不正も一掃でき、近代的な市場システムに移行することに成功しました。今回も移転するにせよ再整備するにせよ時間をかけて取り組むべきですし、先入観や誤解に基づく外野の介入は謹んでほしいものです。
 まあ個人的には今の場所で市場を続けてほしいというのが、正直な気持ちではありますが。忙しい料理人さんにとっては築地の近さと地下鉄日比谷線で行ける便のよさがありがたく、移転すると通えなくなるという声が上がっています。編集者としては、仲卸しでの取材中に知り合いの料理人さんとばったり遭遇、なんていうハプニングがこれからも続いてほしいものです。


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2010年06月02日 14:20に投稿されたエントリーのページです。

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