【 vol.14 】
黄身返し卵にトライ!!
今回もエル・ブジつながりの話です。フェランの料理は意表をつくファーストインパクトに重きをおいておりますが、これってちょっと科学マジックに似ていますね。この素材はこういうふうに調理するのが当たり前、この料理は本来こういうもの、といった常識が覆されるところに面白みがあります。
ただし、マジックショーを楽しむには観客は演者の指示に従わねばなりません(トランプの中から1枚選んでほしいと言われたのに、むんずと3枚つかみ取ったりしたら、ステージが台無しになりますよね)。エル・ブジの料理も同様で、食べるのに店が指定する作法や手順を踏まねばならないものがあります。たとえば前回紹介した二層式のグリーンピースのスープは、冷めないうちに一気に飲んでもらわないと効果が半減します。ですが、店側から指示されるのがわずらわしい、お仕着せだと感じる人には面白くないでしょう。
また世の中には、マジックを娯楽として楽しめない人たちもいます。驚かされるのを素直に喜べない、「だまされた、くやしーい」と感じる性分の人です。タネを教えるまでは絶対に解放してくれなかったり…。常に自分が優位に立っていないと気がすまないんでしょうか。実は食通ぶっている自慢しいの料理評論家やブロガーにはこのタイプの人たちが結構います(その証拠に、彼らは自分だけが知っている“隠れた名店”を紹介するのが大好きですし、自分の知らない特別なサービスを受けている客がいると思い込んだら敵意を丸出しにしたりもします)。
さらに覆そうにも、常識を持ち合わせていないと覆しようがありません。「この料理は当然こういう味のはずだ…」という知識のある人ほど意表をつかれるのです。エル・ブジのスペシャリテの一つにカリフラワーを細かくきざんでまるでクスクスのように仕立てた料理がありますが、カリフラワーもクスクスも見たことも食べたこともない人にとっては、単なる未知の料理でしかありません。
だからエル・ブジの料理は誰にでもお勧めできるものではありません。ところが日本のマスコミは、世界で一番予約の難しい店、世界最高の料理(最先端と最高は別のものなのに)などといった浅薄な取り上げ方をしました。マジックショーを見る前に半可通の第三者からタネ明かしされても、そんなに楽しいものではないと思うのですが…。
エル・ブジ風の料理を作る人たちも増えましたが、同じタネで見よう見まねで演じられても、同じ感動を与えることができるとは限りません。すぐれたマジシャンはタネが奇想天外なわけでも手先がずば抜けて器用なわけでもなく、話術や誘導の仕方にこそ本領があります。エル・ブジの料理も、その魅力を理解して、そこを自分なりにお客に伝えようとしないとただの素人芸に終わってしまいます。忘年会の隠し芸の手品がいまいちつまらないのは、演者がつい自慢げに見せてしまうから。エンターテイメントとして観客を楽しませようという配慮が欠けているのが原因です。「流行のエル・ブジ風です! どうです、すごいでしょう?」と得意満面で説明されては、お客さんは鼻白んでしまいます。
そもそもサプライズ料理や見立て料理であれば、スペインくんだりに範を求めようとせずとも、わが邦には江戸時代からの伝統があります。その筆頭が「黄身返し玉子」。黄身と白身の位置関係が反転していて、黄身が外側に、白身が芯に詰まっているという世にも不思議な玉子料理です。天明5(1785)年の『万宝料理秘密箱』という料理書に出ておりまして、料理研究家の奧村彪生氏が再現してみせたレシピ本で見ることができます。奥村氏は篠田統先生(vol.3参照)が主宰した料理文献の講読会のメンバーであり、講読会ではこの本を読み解きながら料理の再現にも努めてきたそうで、一部は現代人向けにアレンジするなどの工夫もされています。卵白に金箔を加えて湯煎で焼いたり、ゆで玉子を四角く整形してみたり、紫蘇に漬けてみたりというふうに、現代人には思いもつかないようなアイデアが詰まっており、興味深いです。ただしこのレシピ本のキャッチフレーズは「いきなり差がつく自慢できる111のレシピ集」なんですが、世にも珍しい江戸の玉子料理が作れても自慢はほどほどにしたほうが賢明だと思いますよ。
さて黄身返し玉子の製法ですが、万宝料理秘密箱によると、殻に針で穴を開け、糠味噌に3日間ほど漬けてからゆでると、黄身と白身がひっくり返るというのです。しかし実際にはこの方法ではうまくいきません。そのため、ハッタリの類として片付けられていました。
ところが登場から200年余り経った平成の世になって、黄身返し玉子を再現することに、京都女子大学の八田一郎先生が見事成功しました。当時の卵は有精卵だったので、孵化が始まって3日から4日目頃には卵黄が水っぽい状態になる一方で、卵白のほうは粘度が高まります。そのためショックを与えて卵黄を崩してやれば、卵黄が卵白をくるんだ状態が作れることがわかったのです。
この成功をうけてテレビ番組でも黄身返し卵が取り上げられ、無精卵を使った黄身返し卵の再現法も紹介されています。『続々伊東家の食卓裏ワザ大全集21世紀版』に収録されているのは、卵に小さな穴を開けて、そこから針金を突っ込んで卵黄を強引に崩してしまうという方法です。ところがこの方法も難しいらしく、慣れた人でも2回に1回くらいしかうまくいかないとか。
のちに八田先生は、卵をぶんぶんゴマ(子供の頃にボタンで作ったアレです)の原理で激しく回転させて卵黄を崩すという方法を開発しました(本は見当たりませんでしたが、日清食品のインスタントラーメン発明記念館のHPで詳しく紹介されています)。以前伊東家の方法ではうまく作れず、あきらめていた私ですが、早速これに飛びついてみました。その成果が下の写真。回しすぎて殻の中でとき卵状態になったらしく、「黄身だけ玉子」になってしまいました。まあ、これはこれでぷりぷりした食感で、面白い味ではありましたが(負け惜しみ)。その後、再トライしてみたものの、殻が破れて爆発したり・・・。
一番右の物が比較的うまくいきましたが、黄身返し玉子の道は遠く険しいです。
それにしても『万宝料理秘密箱』ってタイトルからして手品の本みたいですよね。著者もそれを意識していたのかもしれません。アマチュアマジシャンにしてミステリー作家だった故・泡坂妻夫氏の『大江戸奇術考』に「奇術と料理」という1章がありまして、そこで料理と手品の近縁関係について解説されております。江戸の末に刊行された『料理こんだて手品伝授』という本にも黄身返し玉子が紹介されているのだそうですが、これは既存の料理本2種と手品の解説本2種を勝手に組み合わせたという、ずいぶん安直な本なのだとか。作者にしてみれば料理のコツも手品のタネ明かしも、読者ニーズは同じと思ったのでしょうね。テレビの裏ワザ番組の人気の高さに通じるものがあるような気もいたします。
そういえば江戸時代きっての名料亭である「八百善」では、鉢植えの茄子を枝につけたまま漬物にしてみせたという話もあります。また『万宝料理秘密箱』と同じ天明5年に出版された『大根料理秘伝抄』という本に紹介されている「輪違大根」は、鎖のような形に切り出されておりまして(左のイラストの要領です)まるで曲芸のようです(そういえば、以前これの作り方について、テレビ局から会社に問合せがきたことがありました)。こうしたちょっとした不思議は、宴席を盛り上げるいいスパイスになったことでしょう。ただし鉢植えナスの漬物も、輪違大根も、食べておいしいとは思えません。あくまでも余興にすぎず、ここに重きをおいては本末転倒です。
エル・ブジの料理を取り上げるマスコミの一部は、こうした手品的料理とごっちゃにしているような気もします。彼の本質は今までにない方法で、新しい触感や味を生み出す試みのほうにあると思うのですが。