食とフードビジネスの未来を創る[フード・ラボ] by 柴田書店



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月刊誌 月刊食堂

創業と歴史

柴田書店は1950年、大志を抱いて上京した一人の青年、柴田良太が創業しました。九州・小倉で書店の次男として生まれた良太は、食の分野での出版 業の可能性を信じ、53年に『調理のための食品成分表』を出版して生活科学、食品関係の専門出版社としてのスタートを切ります。55年には出版に3年を要 したわが国最初の西洋料理の大著『西洋料理』を刊行し、業界の方々から喝采を受けました。  59年には欧米を視察し、外食業界の成長性を確信、いよいよこの分野の専門図書出版の道を歩むことを決意します。そして61年、外食業界の経営、設備、 調理の指針となる雑誌をつくろうと決意し『月刊食堂』を創刊するのです。

1963年には、宿泊産業の近代化に貢献するべく『月刊ホテル旅館』を創刊。のちに月刊化される『喫茶店経営』もこの年に創刊しています。さらに 66年には若い調理人に向けた『月刊専門料理』が誕生。これにより、外食業、ホテル業、喫茶業、そして調理技術すべてを網羅する出版社としての陣容が確立 しました。しかしこの年、良太は飛行機事故によって41歳で志半ばにして生涯を閉じてしまいます。

年齢と仕事
正岡子規が俳句と短歌の革新をひろめて三十五歳で死んだ。
尾崎紅葉も老成した感じをうけるが三十六歳でなくなり、夏目漱石は四十九歳の時、「明暗」執筆中に死去した。
織田信長が本能寺で自害したのが四十九歳でその時は秀吉は四十七歳、家康は四十一歳であった。
源義経は三十歳で奥州平泉で死んだが、彼の活躍したのは最後の五年間という。
大石良雄が四十七士を統率して主君の仇を討ち、本懐をとげて切腹したのが四十四歳、西郷隆盛は五十歳で城山で自害した。
全世界に神を知らせた青年イエスキリストは三十三歳のとき、処刑場ゴルゴタの丘へ十字架をかついで歩んだ。青年老い易くではないが、青年も壮年も老人もボヤボヤしてはおれない。
よい仕事を残したいと思う。
柴田良太
(本稿が柴田良太の遺稿となりました)

創業者である良太の死後、社員が彼の遺志を受け継ぎ、多彩な出版活動を通じて柴田書店は、食の業界とともに発展してきました。

『月刊食堂』『月刊専門料理』『月刊ホテル旅館』に加え、2001年にはカフェや製菓・製パン業界に向けた雑誌『cafe-sweets』を創刊。その他、別冊としてそばうどん店、居酒屋、ケーキショップ向けや、最新の食トレンドを押さえた雑誌を随時刊行してきました。

雑誌と並ぶ両輪である書籍では、お店や調理の現場に即した実践的な経営書、調理技術書を中心に、こちらも多彩な出版活動を行なっています。1971年の初版刊行から40年以上を経過してなお、毎年版を重ねている『こつの科学』をはじめ、ロングセラーが多いのも柴田書店の特徴であり、われわれの誇りです。

一方で海外の動向にも早くから目を向け、現在第一線で活躍するシェフたちが若き日に学んだバイブルともいえる『エスコフィエ フランス料理』などのロングセラーから、現在の料理の最先端を行くものまで、世界で注目されるシェフのメニューを紹介する書籍や別冊も出版しています。

2005年には自社WEBサイトをスタート。自社商品の紹介を中心に、サイトの充実を図っています。

時代とともに事業領域や商品は変化してきましたが、常に変わらないわれわれの事業目的は「飲食、サービス業のプロに貢献する」ということ。その企業理念を守りながら、柴田書店はこれからもチャレンジを続けます。



柴田書店の創業から現在までの歩み一覧はPDFでご覧いただけます。

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