« 2010年12月 | TOPページへ | 2011年02月 »
2011年01月27日
アレルギー対応ケーキ!『しあわせケーキ』 編集担当者より♪
『アレルギーでも食べられる しあわせケーキ』
柴田書店編
発行年月:2011年1月27日
判型:B5変 頁数:104頁
食物アレルギーをもつお子さんは、
年々増加傾向にあるようです。
そうしたお子さんたちでも安心して食べられる、
アレルギー対応のケーキやおやつに注目が集まっています。
ケーキづくりに不可欠な、卵、乳製品、小麦粉を
単体またはすべて除去して、
おいしいケーキができるのでしょうか?
----- 答えは yes です。
本書は、アレルギー対応ケーキで定評のある、
4人のパティシエが独自に開発した
40品超のレシピを掲載しています。
ママさんたちが手軽につくれる普段のおやつから、
プロのデコレーションケーキまで、
レベルもシーンもあえて幅を持たせました。
◎チョコチップマフィン
焼き菓子のつくり方は
材料を混ぜるだけで簡単♪
30分もあればつくれます!
◎プレミアム・アントルメ・ロアジス
豆乳ベースの
チョコレートとオレンジの
2層のムース仕立て。
◎焼きドーナツ
卵・乳抜きの
豆乳入り焼きドーナツも
つくれます♪
どのケーキもおいしそうで、
子どもたちの喜ぶ笑顔が浮かんできます。
----- そう。
ケーキは 「しあわせ」 を分かち合う食べものなんですね。
ご家庭用に、または業務店の商品開発のヒントとして、
本書を多くの方々に手にとっていただければ幸いです。
投稿者 webmaster : 13:09
2011年01月25日
料理本のソムリエ [ vo.16 ]
【 vol.16】
日本に飛び火した豆腐問題
前回の記事をアップしたちょうどその日、デパートの古書市の出品目録を眺めておりましたら、超貴重本と紹介したばかりの『豆腐百珍餘録』が載っており、仰天しました。私の知る限り、この本のオリジナルは慶応大学にしかありません。あわてて注文を入れたのですが、これを書いている段階では抽選結果はまだ不明です。落胆のあまり旅に出てしまって次回はお休みするかもしれません。
そわそわしつつ『料理文献解題』や『江戸時代料理本集成』の解説をもう一度よく読み返したら、この本は『豆腐百珍』の出版元が購版、つまり『豆華集』の版元から購入したとありました。vol.1で申し上げた版木を同業者に売り渡すというケースでして、江戸と大阪で対立していたわけではなかったのですね。昔の出版人も結構紳士的だったということで、ここに訂正いたします。
そんなこんなでまた豆腐の話です。
漢字の「豆腐」なんですが、最近は「豆富」という書き方も目にしますね。食品なのに「腐」という字はどうも、という心理によるようです。「そもそも豆が腐ったのなら納豆じゃないか」というのは昔からよく聞く異議申し立てですが、「いやいや、腐という字には、集める、柔らかいという意味があるんです」と説明されているものをみかけます。
ところが清の皇帝が作った国家公認(何しろこれを批判した本は禁書、著者は死刑になったくらいです)の『康煕字典』にも、全15巻で世界最大を誇る諸橋『大漢和辞典』にも、「腐」の字の意味を集めるだの柔らかいだのとする説明が見当たらないんですよ。腐という字が気になるのは中国の人も同じなようで、元代には「菽乳」(菽は豆の意味です)という別名も考え出されております。
ちなみに豆腐は紀元前2世紀に淮南王、劉安が発明したことになっておりますが、これまたまゆつばものでして、それから1000年間、文献に豆腐の二文字がまったく登場しません。豆腐の歴史の研究は篠田統先生が権威でして、日本風俗史学会誌に1968年に発表された「豆腐考」で縦横無尽に史料を駆使して中国と日本の豆腐について考証されています(雑誌を探すのは大変ですが、さいわい『全集日本の食文化』3巻に収められております)。それによると、豆腐なる食品が初めて登場した文献は北宋の時代の『清異録』。おまけに南宋や元の文献によると四川省では別名「黎其」「黎祁」「来其」とも呼ばれておりました。表記法がいくつもあるだなんて、なんだか外来語の当て字っぽいですよねえ。
そこで篠田先生が主張するのは、豆腐は唐の中期以降に乳製品作りにヒントを得て生まれたものとする遊牧民族由来説です。当時、乳腐と呼ばれる食品がありまして(こちらは隋の料理書に載っており、唐の歴史書にも登場します)、その豆版ではないかというわけです。唐の頃の乳腐の作り方は不明ですが、明代の『本草綱目』によると漉して煮立てた牛乳に、酢を入れて沈殿させ、漉し集めて汁を絞って固めたものとありまして、カッテージチーズみたいです。豆腐の場合は、加熱した豆乳ににがり(塩化マグネシウム)や石膏(硫酸カルシウム)を凝集剤として加えて作ります。チーズよりも固まるのがずっと早くて水きりしなくても作れないことはないのですが、固めの木綿豆腐であれば穴開き容器に詰めて「ゆ(上澄み)」を除きます。チーズと豆腐の作り方は確かによく似ています。
ところがそれに異を唱えたのが、臼研究の泰斗、故・三輪茂雄先生。粉体工学に基づいて科学的に臼を研究されていた三輪先生は、98年10月に調査団を組んで安徽省淮南を訪問し、博物館で漢代の明器(墓に納められていたミニチュア)の構造を分析した結果、それを大豆を水挽きするのに使った石臼と判定しました。さらに中国人研究者に『文物考古三十年』という文献に漢代の墓に豆腐作りプロセスを描いた石刻画があると教えられ、「淮南起源俗説論は完全に否定された」と『粉と臼』で述べておられます。のちに法政大出版局の『粉』では、滋賀県立大の菅谷文則先生から提供を受けたとし、くだんの石刻画のイラストを掲げております。
しかし、これにはどうやら大きな誤解と、日本人の預かり知らぬ問題があるのです。三輪先生はすたれつつあった石臼製粉の復権に力を尽くした蕎麦界の恩人。柴田書店の『そばうどん』に連載を持ち、著書『石臼の謎』では石臼の製作方法を紹介され、これを頼りに石臼を自作する蕎麦屋さんもいらっしゃいます。摩擦熱の少ない石臼で大豆を挽くことで、蕎麦と同様によりおいしい豆腐が作れることを熱く提唱されてきました。しかしそんな大恩があるからこそ、三輪先生の勘違いがこれ以上広まる前に訂正しておかねばならないと思いまして、ちょっと長いのですが説明いたします。
この石刻画が見つかったのは河南省密県打虎亭にある後漢時代の豪族の墓です。邸宅を模した造りで、2号墓は日本の古墳のように彩色画で、1号墓のほうは石版に薄く彫った線画(画像石といいます)で内壁が豪華に飾られておりました。1960年に発見第一報が、72年と87年にはもっと詳しい発掘報告が中国の考古学雑誌に載り、多くの画像石が紹介されたのですが、豆腐作りを描いた肝心の図についてはまったく触れられておりません。
三輪先生が証拠文献とする『文物考古三十年』は、正しくは『文物考古工作三十年』でして、刊行の翌々年の81年に平凡社から『中国考古学三十年』のタイトルで翻訳も出ております。打虎亭漢墓の紹介文では、「租税を取り立てる状況を描いた画像石は、漢末の地主階級が農民に対して地租を過酷に搾取したことの縮図である。百戯の壁画も彼らが宴会に遊びたわむれている腐りきった生活を生き生きと描いている。打虎亭第一号墓には豆腐工房を石刻しているが、この一幅の絵は豆類に加工して、副食品をつくった生産の絵柄であり、中国の豆腐づくりが後漢末期より遅れることのないことが証明された」とあります。いやあ、時代を感じさせますねえ。肝心の画像石は写真もイラストも載っておらず、豆腐作りと断じた根拠は不明です。この本は49年の建国から79年までの輝かしい考古発見を各省ごとにまとめたものでして、人民中国の学問の大躍進を称揚するのが目的ですから、少しハッタリ気味でもおかしくありません。
この遺跡の全貌は、93年に河南省文物研究所から出版された『密県打虎亭漢墓』でようやく明らかになりました。問題の画像石は東側に張り出た小部屋の南壁西側にあり、高さ95cm横120cm。
写真をHPに転載するのは著作権の問題があるかもしれないので、私が線をなぞってイラスト(左)におこしてみました。
帽子をかぶった人物たちが何かを漉したり、かき混ぜたり、四角い箱に重石をして絞っている光景が描かれているようですが、表面が何箇所もはがれていてわかりづらい。石臼とされる絵には挽き手(にぎり)が見えないうえ、豆腐作りに欠かせない加熱シーンが欠けているという致命的な欠陥があります。また工程図の上には壺の絵がたくさん描かれているのですが、これらが豆腐作りと結びつきません。同じ南壁の東側にはもっと保存状態のよい、鳥をさばいたり調理する光景を描いた画像石がありまして、対になると考えると酒を仕込むシーンのほうがふさわしいようにも思えます。
三輪先生が『粉』で紹介したイラストを見たことのある人は、「おやおや、ご隠居さんたら絵が下手くそなうえに老眼かい?」と思われるかもしれませんね。こちらでは臼の形がしっかり描かれておりますから。実は『粉』のイラストは、中国の江西省で『農業考古』という雑誌の編集主任を務める陳文華という学者が91年1月号で発表したものでして、『文物考古工作三十年』を見ていない三輪先生はすっかり勘違いされたようです。
陳先生は慌てて撮影したボケ気味の写真から壁画の下一段分だけを取り出して描きおこしたものの、つい微妙に自説に都合のよい方向へ修正してしまいました。初めから豆腐の図であると思い込んで調査したため、先入観が働いてしまったんですね。93年に鮮明な写真が公開されたため、孫機という学者が醸造シーンと推定し、「豆腐問題」というタイトルの新説を提出。一般新聞にまで取り上げられてしまいました。
そこで陳先生は同じ『農業考古』の98年3月号誌上で、これまでの経緯と一部描き直したイラストを提示し、釈明したうえで反論します。すると孫先生は考古学の新聞にて再反論、陳先生は雑誌でまた反論。なあなあですまさずに反論を正面から受け止める姿勢はあっぱれですが、中国では学問の世界でも面子がからむと冷静さを欠き、泥沼化する傾向があります。また淮南では豆腐村という施設を作って毎年9月には豆腐祭りを開き、豆腐発祥の地で売り出しており、今さら引っ込みがつきません。事情を知らぬ日本人学者は、「海外でも支持されている」というふうに、それと気づかないまま自説補強のお先棒を担がされてしまうというわけです。この画像石の解釈は、最新の技術で撮影するなどしてさらに慎重に検討する必要があるでしょう。
百歩譲って漢の時代で豆腐が作られていたとしても、それが淮南に起源を持つとは限りません(密県は淮南の近くではありますが、それでも400kmは離れています)。またなぜ「腐」という字が使われるのか、なぜ1000年間も文献に現われなかったかは謎のままです。vol.2で述べたように中国人は料理や技術を書き残すのに熱心ではありませんでしたから、豆腐料理や豆腐作りの史料が見当たらないのは仕方ないにせよ、農業書や博物書、辞書なら残っています。これらの大豆についての説明文中に、ひと言「みなさんご存じの豆腐の材料です」とでも書かれてよさそうなものです。
篠田先生は黎其(れいき)は西域の言葉か梵語(インドの言葉)の可能性があると述べております。また6世紀に書かれた(現在伝わっているのは宋代に改訂増補された版ですが)『玉篇』という字書では、「酉支酉氏」(入力できないのでへんとつくりに分解しましたが、とりへんに支と氏の漢字2文字に見立ててください。発音は篠田先生によれば「りき」です)を「乳腐」と説明しているのにも着目されています。豆腐は乳製品大国でベジタリアンも多いインドから、仏教文化とともに中国にもたらされ、寺という特殊な世界に伝えられてきたのではないでしょうか。中国に伝わる膨大な仏典の中に、別の名前で素知らぬ顔で豆腐が隠れているのかもしれません。
豆腐がチーズの大豆版であるなら、かびをつけて熟成させるのも自然な流れ。麹を使って作る沖縄の「豆腐よう」や中国の「腐乳」の存在も納得できます。なお豆腐百珍の撰にはもれたものの、わが邦にも、ひと口大の「酢豆腐」なる発酵食品がありまして…。
おっとご隠居は長話がすぎますね。続きはご自身で調べてみてください。
投稿者 webmaster : 15:45
2011年01月21日
これぞ、チーズパラダイス! 『世界チーズ大図鑑』 編集担当者より♪
『世界チーズ大図鑑』
ジュリエット・ハーバット監修
発行年月:2011年1月21日
判型:A4変 頁数:352頁
原書は25カ所の国と地域から750種類以上のチーズを集め、
各国の担当者20名が分担執筆した大図鑑です。
正直な話、翻訳作業に入ったときは
「日本に輸入されていそうにもないマイナーなチーズまで
たくさん載っているこの本、読者にとって必要のない情報が多すぎるのでは?」と、
内心不安でありました。
なにしろ出版元がイギリスだけあって、
ウェールズやスコットランドが独立した章立てになっているくらいですから…。
ところがそれは思い過ごし。
全体を通して読むことで各国のチーズ事情やお国柄がうかがえます。
たとえばフランスやイタリアではAOCやPDOなどの法律で保障され、
伝統的な作り方を守っている産地が数多くある一方で、
イギリスやアメリカでは独自の製品づくりを工夫する若い生産者も少なくない。
ちょうどワインとよく似た世界であることが読み取れます。
近年注目の集まる国産ワインと同様、
日本のチーズ生産者もそういったグローバルな視点で捉えることができると思います。
またヨーロッパのチーズ産業も順風満帆だったわけではなく、
工業化優先ですたれてしまった伝統的な製法を
復活させるといった動きもあるようです。
かと思えば、そんな難しい話ばかりでなく、
担当した著者たちの食文化が解説に反映されていて、にやりとさせられることも。
お勧めな「おいしい食べ方」は、
フランスの章では一緒に飲むワインをかなり細かく指定してくるかと思えば、
イギリスでは結構リンゴ酒押し。
アメリカの章ではチーズの香りを菓子のバタースコッチやトフィーにたとえているのに、
妙に納得してしまいました。
また、こんな変わったチーズが世の中にあるのかと
驚かされたり関心したり。
さすが洋書だけあって、写真の撮り方やチーズの外箱に見立てたデザイン
(表紙を書店で触ってみてください。芸の細かさがわかります)が、
ちょっとスタイリッシュな感じ。
ただ眺めているだけでも楽しいです。
もちろん見た目だけでなく、
何かのチーズについて調べるにあたって
充分実用的な内容であることは保証します。
それぞれに商品データを記録し、断面写真を撮り、
産地マップをつけるといった、
実に手間がかかったであろう構成には脱帽です。
なお各種チーズを整理するにあたり、
「ウォッシュカードチーズ」「非加熱圧縮チーズ」といった
製造者側の視点に立った分類ではなく、
フレッシュ、熟成フレッシュ、ソフトホワイト
(白かびチーズはここに含まれます)、
セミソフト(ウォッシュタイプ)、ハード、ブルー、フレーバーと、
ざっくり7種に大別しているのもこの本の特徴。
私はフレーバーチーズは何となく正統派ではないイメージがあって、
これまであまり食べずにおりましたが、
それが偏見であることを思い知らされました。
チーズ漬けの編集作業の終わった今でも、
まだ食べたことのないチーズに積極的に食指をのばし、
毎週1、2個買っては楽しんでおります。
投稿者 webmaster : 14:16
2011年01月13日
料理本のソムリエ [ vo.15 ]
【 vol.15】
素材と100の日本料理
前回、前々回はどうも説教くさかったですね。以前このブログを読んで、落語のご隠居みたいという感想をくださった方がいらっしゃいました。本質をずばりと突いていて、実に言い得て妙と思わず膝を叩きましたですよ。小難しくて長くてくどいうえに、昔話と説教がミックスされている。そのうえよく知らないことでもさも知っているかのよう。素人が本で読んだ手品のタネを自慢げに語っているみたいです。
そんな自覚があるのに、強情で聞き分けのないのもご隠居の特徴。反省せずに今年も続ける所存ですので、よろしくお願いいたします。
さて新年1回目の更新分ですが、ご隠居らしく江戸時代の料理本の話題から。前回紹介した『万宝料理秘密箱』ですが、別名を『玉子百珍』とも申します。この本には鶏料理や川魚料理も登場するのですが、なにぶん100以上の玉子料理を扱っているため、後に再版する際にこのサブタイトルがつけられたのです。この「○○百珍」という書名はどこかで目にされたことがあるのでは? ○○という素材を使った100種類のレシピ集というスタイルをとるこれらの本は「百珍物」とも呼ばれるのですが、その最初の本が天明2(1782)年に出版された『豆腐百珍』です。著者は大阪の篆刻家、曾根学川。100通りもの豆腐のレシピを尋常品、通品、佳品、奇品、妙品、絶品の6種類に分類するというユニークな構成が評判を博し、翌年には同じ著者により続編の『豆腐百珍続編』が、翌々年には著者とは無関係の江戸の版元から『豆華集』が出版されました。二匹め、三匹めのドジョウを狙う出版界の体質は今も昔も変わりませんね。ちなみに便乗本の『豆華集』の出現に『豆腐百珍』の出版元は黙っておりません。序文を除いて曾根先生にこれまでの経緯を解説してもらい、『豆腐百珍余録』とタイトルのみを変えてそのままの内容で出版します。本家にコピーし返されては、抗議もできなかったでしょう。もっとも、さすがに売れなかったらしく、今や『豆華集』『豆腐百珍余録』のどちらも1、2冊しか所蔵が知られていない超貴重書であります。
一方豆腐モノの本が売れなくなったくらいでくじける出版界ではありませんぞ。ならばと『鯛百珍料理秘密箱』に『海鰻(はも)百珍』、『蒟蒻(こんにゃく)百珍』に『甘藷(いも)百珍』なるものまで次々と類似書が出版されました。曾根学川は、今の世でも通用する「素材別レシピ集」というジャンルの確立者として出版界の殿堂入りは間違いありません。ちなみに原田信男教授の『料理百珍集』は、現代語訳ではありませんが、これら江戸時代の百珍物を7種類集めて活字にしてあり便利です。
『豆腐百珍』と『豆腐百珍続編』は私どもの『とうふの本』でも活字化されていますが、今は絶版。尋常品はともかく、絶品の豆腐料理って何なのかちょっと気になりますよね。『万宝料理秘密箱』と同様に教育社新書から現代語訳が、さらに新潮社のとんぼの本シリーズからはカラーの写真入り『豆腐百珍』も出ていますので、そちらをご覧になるとよいでしょう。後者は「なべや」の福田浩氏が100品すべての再現にトライ。試食の感想つきという凝りようです。
さて『豆華集』では失敗したものの、豆腐はいろんな展開が可能な素材ですから、明治以降も豆腐百珍の衣鉢を継ぐ続編は絶えませんでした。1935年には精進料理の「白雲庵」の林春隆氏が『新撰豆腐百珍』(のちに中公文庫に入りました)を、62年には「辻留」の辻嘉一氏が『現代豆腐百珍』を出版しております。
小社でも『豆腐100珍NOW』という単行本を出しておりました。こちらは先の福田浩氏が和風、山本豊氏が中華風、さらに料理研究家の大原照子氏が洋風豆腐料理を担当。ただし82年刊ですから、ナウいかどうかはご容赦のほどを。最新の本は96年の礒本忠義氏による『豆腐料理』ですが、こちらは豆腐だけでなく、さらにおからや豆乳、湯葉や高野豆腐などを使った料理も登場しまして150種以上。昨今の読者の方々は豆腐ばかりで100種類どまりでは、なかなか満足していただけませんからね。
ところで豆腐は水のよい土地で作るに限るとよくいいます。だから京都の豆腐はおいしいのだ、とも。確かにたっぷり水を含んでおりますから、水のよしあしは味を左右するのかもしれません。
ところが見落とされがちなのは、豆腐を浮かべる水なんです。以前雑誌の水の特集企画で、豆腐にどんな影響が出るか、面白半分に実験したことがあります。エントリーしたのは、ビルの貯水槽からこんこんと湧き出る「柴田書店の“おいしい水”」とわざわざ徳島から運んだ井戸水、アルカリイオン水、軟水系と硬水系の2種類のミネラルウォーターでした。これらの水を張った容器に、町の豆腐屋で買った平凡豆腐とデパートで買った富山産大豆とにがり製のエリート豆腐をそれぞれ浸けたのち、3時間後に一度新しい水に取り替えて、さらにひと晩置いてから試食したのです。
ビルの貯め水に浸かった豆腐はたとえ生まれはエリートであっても、氏より育ち、悪い環境に染まって嫌なにおいがついてしまいました。せっかく取り寄せた井戸水も、汲んでから時間が経っておりますし、輸送に使ったポリタンクのにおいもあり、あまり結果ははかばかしくありません。その点、ミネラルウォーターは効果的だったのですが、両者で味がまったく違うのです。軟水系のほうは、豆腐の持ち味といえば聞こえはよいのですが、酸味というか大豆の渋みというか、ちょっと嫌な味も引き出してしまう。ところが硬水系のほうはミネラル多めなのが効を奏したのか、なんだか胡麻豆腐を思わせるようなクリーミーな感じになっていました。アルカリイオン水のほうもそうした変化が若干ありましたが、とにかく硬水の効果には驚かされました。大豆の香りも甘みも引き出され、普通の豆腐と高級豆腐の差などは吹き飛んでしまうほどでした。
まあ、それ以上は追求しなかったので、その時たまたまだったのか、何かミネラル分が原因だったのか(アルカリイオン水の原理は電気分解で人工的にアルカリ基のミネラルを添加することにありますから)、詳しくはわかりません。ただ、簡単にできる実験なので、ご関心の向きはお試しあれ。もしかしたら豆腐と水のベストな組み合わせが見つかるかもしれませんよ。漫画の『美味しんぼ』の第1話で山岡先生は見事豆腐を食べ分けておりますが、こうした姑息なトリックを用いたならば、どんな結果になったことやら。
この漫画では豆腐に旅をさせるな、というキャッチフレーズも紹介しておりますが、連載が始まった80年代と違って、豆腐の作り方も多様化しております。以前は豆腐容器に1丁ずつ流し込んで作る「充填豆腐」は、水っぽくてくずれやすいのをごまかすため、なんて言われていましたが、今の製品は充填豆腐でも結構しっかり固く作っています。充填するのは機械のラインの衛生環境を保ち、保存性を高めるほうに目的があるようでして、確かに最近のスーパーの豆腐は日持ちがよいですよね。
また小さなザルに詰めた「ざる豆腐」は水切りがよいせいか、これまた結構輸送に耐えます。おかげで京都だの大分だのから長旅してきた豆腐を、東京でも見かけるようになりました。ただし、芽胞という状態で眠っている細菌は加熱に強いので、豆腐作りの加熱工程くらいでは完全に殺菌できませんから、どうしたって缶詰のように長くは持ちませんが。
まあ実を言いますと、どんな名水から作った豆腐でも、旅をしない新鮮な豆腐でも、肝心なのは料理の腕。先の『新撰豆腐百珍』では、「茶と豆腐は水質よりも煮方の巧拙に拠るところ多し」と喝破しております。素材自慢よりもまずは基本の調理をしっかりと、ということですね。
投稿者 webmaster : 18:24