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2011年04月28日

料理本のソムリエ [ vol.20 ]

【 vol.20】
昆布は放射能から日本人を救うか?

 大震災からそろそろ1カ月半。週刊誌やスポーツ新聞は被災地の話題が次第に少なくなるのに比例して、原発事故のほうに重きをおきつつあるように感じます。ちょうど阪神淡路大震災の2カ月後のように。あのとき、マスコミ報道はあっという間に麻原彰晃とオウム一色で染まり、復興に向けての話題はすっかり隅に押しやられたのを思い出しました。中には今振り返ってみれば笑ってしまうような誤情報もありましたね。今の原発記事がそうでない保証はありません。
 交通の便が悪いうえに広範囲におよぶ被災地へ取材陣を派遣するには、時間と費用がかかります。被災者の人生と向き合う取材は辛い仕事です。その点、原発関係でしたら現地に行かずとも有識者(?)に語らせるだけで、人目を引く記事を仕立てられます。東京電力も政府も今なら叩き放題で溜飲も下がります。そうしたマスコミの都合に踊らされ、今まさに困っている人たちへの関心を途切れさせないようにしたいものです。
 もちろん原発問題を軽んじてよいわけありませんが、いたずらに不安を煽るだけの言論も多くていささか辟易気味でして。ネット文化人やマスコミの論調を見ていると、一夜漬けの急ごしらえな知識で発言している例が多いのにも呆れます。いわば原発ゆとり世代。長年の安全PRの成果なのでしょうか。圧力容器の中がどうなっているのかはっきりわからない以上(燃料棒の溶融ばかり取り沙汰されてますが、15年ほど前にひびが見つかって慌てて交換したシュラウドはどうなっているのでしょう?)、おっかなびっくり手探りで、時間をかけて対処するしかなく、外野がとやかくいってもむなしいだけです。

 ところで工学的な考察はともかくとして、原発推進論というのは、証券会社が株や債券を勧めるのとちょっと似ていませんか? 「将来性の低いスイリョクや、枯渇とCO2が心配のカリョクよりも安いんです。分散投資は世の常識ですよ」というのがそのセールストークです。「ハイリスク商品はちょっと」「これからが有望そうなフウリョクやタイヨウコウに投資したい」という意見もなんのその、「そんな万一のことを考えてたら投資なんてできません」「ベンチャー企業に手出しすると火傷しますよ」と押し切られ、営業マンの勧めるがままにゲンパツ社債を買い続けてきたわけです。こうなると推進に賛成か反対かは、うまく売り抜ける自信があるかどうかと同様で、理屈では分かり合えない気がします。
 ところがここにきてまさかの破綻。約束が違うじゃないかと胸ぐらを捕まえても、「いやあ災害は予見できませんから」とのらりくらり。そのうえ「また新しい債券を買って運用しなきゃ、今のような生活は続けられませんよ?」ですって。上場予定という触れ込みだったモンジュとかいう株も、今や完全に塩漬け状態だというのに。どうもこの証券会社は悪徳そうな匂いがしますが、気のせいでしょうか。この取引で儲けているのは誰なのか見極める必要がありそうです。ちなみにこのゲンパツという債券、廃炉という満期を迎えたときには償還どころか、支払い額未定の手数料がかかるという噂ですが、まさかそんな間抜けな投資商品はありますまい。

 原発と放射能の問題を扱った本としては、かつて広瀬隆氏の一連の著作が話題をさらいましたね。かくいう私も80年代の『東京に原発を!』で原発の胡散臭さを知ったクチでして。原発がそんなに安全なら東京に作ればいい、送電線がいらず(送電ロスは距離に比例するので遠くに原発を作ればそれだけ無駄になります)、排熱は湯として利用できる(原発はその膨大な熱のすべてを活用することができず、温排水の形で捨てているのです)のでいいことずくめではないか、という挑発的な本でして、建設候補地は新宿の淀橋浄水場跡でした。ぼやぼやしていると原発誘致運動が始まってしまうとでも思ったのか、そこに都庁が建ってしまったので、今なら豊洲あたりがいい候補地かもしれませんね。都知事は以前、東京湾に原発を作ってもいいとおっしゃっていましたし。この本はのちに集英社文庫に入りましたが、JICC出版局の元版のほうが構成もデザインも優れていたと思います。
 広瀬氏の本はスリリングな書きぶりで読み物としては面白いものの、専門家ではないために科学的には疑問符が多いと言われてますし、陰謀史観もてんこ盛りで副作用が強すぎます。専門家からの批判としては、圧力容器設計者の田中三彦氏の告発『原発はなぜ危険か』(指摘されているのは福島第1原発4号機の圧力容器です。今回点検中だったのは不幸中の幸いでしたね)や、核科学者の立場から生涯を通して反対してきた高木仁三郎氏の一連の著作が古典としてはずせません。

 気になる食品に対する影響としては、講談社現代新書の『食卓にあがった死の灰』が、『食卓にあがった放射能』と改題されて七ツ森書館から復刊されております。ちなみに七ツ森書館は柴田書店と本郷時代からのご近所で、DTPでお世話になったりしております。広瀬氏がかぎつけて「マスコミが裏で結託している!」と言われる前に、先手を打って公表しておきたく。まあ互いに得意ジャンルが遠すぎて、共謀しようがありませんが。
 この本は、チェルノブイリ原発事故とヨーロッパの食品汚染被害を考察した本でして、当時のソ連政府の広報が後手後手に回って被害を拡大していった様子や、各国政府がどう対応したかが解説されており、他山の石となります。ただし運転中の黒鉛炉が炎上したチェルノブイリと福島原発では状況が違いますし、1986年の事故発生から4年後に出版されたという時代の制約もあります。せっかくだから復刊にあたって、最新のデータと知見も増補してほしかったですね。たとえば東京都はチェルノブイリの事故以降、都内に流通している輸入食品の放射能汚染の検査をずっと続けております。暫定基準の370ベクレルを超える放射性セシウムに汚染された食品は、ここ最近でも06、07、09年に1点ずつ見つかりました(検査した試料の数は06年は257点、07年は270点、09年は329点)。こんなにも影響が続いているのか、こんなにも身近な存在だったのかと驚いた次第です。

 放射線防護学の立場から説いたものとしては、安斎育郎氏の『家族で語る食卓の放射能汚染』がわかりやすく、増補改訂版も出ております。食品の放射能汚染の厄介な点は、これ以下ならば大丈夫という“しきい値”がない、すなわち「どんなに微量でも放射線量に比例して癌になる可能性が高まる」(反対する説もありますが決着がついていません)ことにあります。安斎氏はこれを“癌当たりくじ”といういやーな貧乏くじにたとえます。放射能が低ければ(つまり当たりの数が少なければ)、癌になる確率は低くなりますが、低いなりに癌になる可能性は残ります。そのため流通を規制しようにも、どこで区切ってよいのか線引きが難しい。今回放射性セシウムの暫定基準値が370から500ベクレル(野菜の場合)に引き上げられたのは、こうした事情からです。そして実際に癌になったとしても、発癌性物質や天然放射性物質のしわざと区別がつかず、責任を問うこともできません。つまり今後癌になる人が増えたとしても、そのうち誰が当たりを引いたのかは最後までわからないわけです。

sobaudon37.jpg また大人よりも細胞分裂が旺盛な子供のほうが影響を受けやすかったり、放射性物質によって人体に貯まる場所が違うなどの理由から、同じ放射線量でも危険性を単純比較できません。放射性ヨウ素が危険といわれるのは空気や水から取り込みやすいうえに、骨の成長に関わる甲状腺に貯まりやすいためでして、予防には昆布が有効という噂がネット上に広まりました。その出所は、高田純氏の『世界の放射線被爆地調査』あたりではないかと思われます。高田氏は事故があったときの防衛策として、大人の場合は33グラムの量の昆布を食べて、事前に安定ヨウ素を取り込んでおくのが有効であるとしています。ただし食べてから甲状腺に届くまで時間がかかるうえに、昆布のヨウ素の含有量や吸収できる量は一定ではありません。おまけに33グラムはかなりの量(ネット上では量はまちまちで、乾燥重量と明記していないものも多いようですが)。そのため一部の報道でデマと切り捨てられましたが、これは即効性のある安定ヨウ素剤の代替にはならないというだけの話です。ヨウ素剤は、高濃度の放射性雲が迫ってきて肺からも皮膚からも吸収してしまうので、一刻を争うという時に服用するものですから。現時点では差し迫った危険があるわけでもないし、大多数の人は安定ヨウ素剤を入手できませんから、まったく食べないよりはましでしょう。

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 一度にたくさん昆布を食べられる料理としては、すぐに思いつくのは昆布巻きですが、日本料理には天井昆布という、昆布の塊のような料理もあります。柔らかく煮た昆布を何層にもぴっしり重ねてからきれいに切り整えたものです。煮昆布はすべりやすいし崩れやすく、難易度が高いため、今では作る料理人が少なくなりました。もしかしたらこれをきっかけに見直されるかもしれませんぞ。家庭の場合は沖縄料理のクーブイリチーがお勧めですね。油と一緒に食べるとヨウ素の吸収がよくなるそうですし。なお、昆布をもどした水にもヨウ素が含まれるので、昆布だしも有効です。

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 ただし安定ヨウ素であっても摂りすぎが続くと甲状腺の機能を損ねますし、昆布は今後深刻になると思われるセシウム汚染に対しては無力です。これには味噌などの発酵食品がいいとか、玄米にはデトックス効果があるとかいう意見も見かけますが、味噌はせっかく甲状腺に貯めたヨウ素の排出を促すそうですし、米の胚芽や糠層は放射性物質を蓄積しやすいそうですから、タイミングをまちがえると逆効果になるかもしれません。昆布にしても天然の放射性物質であるカリウム40を多く含む食品でして、なかなか悩ましい問題でもあります。まあ、キムチがSARSや新型インフルエンザに効くというのと、同じくらいの額面で受け取っておいたほうがよさそうかもしれません。

 癌にならないよう健康に気を遣った食生活を送るべしという意見に異論はありませんが、身体に悪いかもと思いつつ旨い物には目がない私は、きっちり養生できる自信がありません。ちょっとやそっとなら放射性物質を含んだ食品を食べても、自分はくじ運が悪いから大丈夫、と信じて暮らすしかなさそうです。おっと、これでは破綻しないと信じてゲンパツ債を買い続けるのとあんまり変わりませんが、他人に迷惑をかけるわけではありませんからよしとしましょう。  


  
  
  

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投稿者 webmaster : 13:55

2011年04月19日

20州の地方料理を背景とともに通観できる! 『イタリアの地方料理』 編集担当者より♪

06111.jpg『イタリアの地方料理』
柴田書店編
発行年月:2011年4月5日
判型:B5変 頁数:432頁


06111_3.jpg 今年はイタリア統一150周年の記念すべき年です。
 え? そんなに短いわけないでしょ、と思われる方も多いかと思いますが、イタリア半島ではいくつもの都市国家が分裂している時代が長く続いていて、いわゆるイタリアという統一国家は存在しなかったのです。それが、サヴォイア家が統治するサルデーニャ王国を中心に統一され、イタリア王国が誕生したのが1861年3月17日(現在のイタリア共和国が誕生したのは1946年)。

今からわずか150年前のことなんですね。
イタリア本国では150周年を祝して、いろいろな祝賀行事、記念行事などが計画されているようです。
また日本でも、NHKのBSハイビジョンでは年始早々、イタリア関連番組が100本以上集中放送されました。今年は何といっても「イタリア!」なのです。
 
 というわけで、本題へ。
 
 本書は、2005年に刊行したムック版「イタリア地方料理の探究」に、大幅に追加撮影・取材をし、加筆して再構成したものです。単行本にするにあたっては、【料理篇】担当として新しいシェフにも加わっていただき、料理も一から見直しました。
 
「この州で代表的な伝統料理というとどんなものがありますか?」
「この地で修業時代にどんな料理を出されていましたか?」
「現地で印象に残った料理は?」そういうやりとりから始まって、
「それは別の州でも登場していますね」
「プリモ・ピアットに特徴のある州ですからプリモをもっと多くしましょうか」
「よりはずせないのはどちらの料理でしょう」などなど無理なご相談を重ね、シェフの方々のご協力のおかげで、20州を代表する料理を計280品ほどに絞り込むことができました。

 絞り込むと、と言葉で言うのは簡単ですが、これは実に大変な作業でした。
あれも載せたい、これも捨てがたいと、候補に挙がった料理は倍近くあったと思います。
2州、3州で重なっている料理もあり(それはそうでしょう)、似通っている料理となれば数知れず(ごもっとも)、いまや全国的につくられている料理もある(イタリアだって変わっているんです)。この料理をこの州に入れる、そうなると素材が重ならないようにこっちの州にはこの料理を入れて、そうすると調理法が重なってしまうからこちらの州の料理をこれに変えて……と。限られた紙幅で、各州の特徴がより明確に伝わるように、なおかつできるだけバラエティに富んだ料理を紹介しようと思うと、それはもう、複雑きわまりないパズリング状態です。

 そして選びに選んだつもりでも、いざ並べてみると、あれも足りない、これも抜けてる、こちらのほうがよかったのでは……とキリがありません。でもそんなことは端からわかっていたことです。イタリアの地方料理を280品やそこらで説明できるわけがありませんから。さらにあるシェフのお言葉を借りれば、「イタリアの地方料理を20州で区切ること自体、とても乱暴なことだと思いますよ」。確かに。本書では便宜上、現在のイタリアの行政区分である20州に分けていますが、州境に万里の長城のような壁が築かれているわけでもなく、線が引いてあるわけでもありません。たとえ州は違っても、お隣りどうし、同じようなものを食べているはずです。
 
 そんな言い訳をしながらの編集作業。【知識篇】では、さらなる苦闘が私たちを待ち受けていました。432頁という頁数からして覚悟はしていたのですが、思った以上に時間がかかってしまったのは言うまでもありません。そして長い長い道のりを経てようやく責了し、すべて手を放したまさにその日、東日本大震災がありました。
 
 いろいろな意味で忘れられない本になりました。

06111_2.jpg ちなみに、カバーは、版画家として世界的に知られる長谷川潔氏の初期の作品で、世界遺産にも登録されているアッシジのサンタ・キヤラ古寺(サンタ・キアーラ聖堂とも)を描いたもの。

そしてカバーをはずすとまったく違ったテイストの本になり、本棚に立てた時、机の上に無造作に置いた時、むしろイタリアっぽい感じがするかもしれません(というか、ちょっとそれを狙いました!)。いずれにしても、ペラペラとめくりながら、メモ書きなど加えながら、ご自身のノートとして使い込んでほしい本です。


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投稿者 webmaster : 10:52

2011年04月08日

料理本のソムリエ [ vo.19 ]

【 vol.19】
関東大震災にめげない石井泰次郎

  あの忌まわしい震災から1カ月が経とうとしています。時々思い出したように余震がくるので気が抜けないし、原発の二次災害と被災者の方々の苦難は進行中です。

06003_1.jpg 3月11日のあの時間、私は遅い昼食を終えて大通りを呑気に歩いていました(vol.11 可否茶館の石碑のある通りです)。お店の人が店頭に飾った商品を大慌てで押さえ始めたのを見て、何が起きたのかと思ったら(鈍感ですね)、いきなり生き物の背中に立っているかのように足元が不安定になりました。見上げると10階建てくらいのビルが一斉に、ムーミンのニョロニョロのように首をふっております。このまま道にいてよいものか。窓ガラスが割れて降ってきたらどうしよう。もっと車道へ避けようか。でも車に轢かれるかもしれない。ビルの中に飛び込もうか。崩れでもしたら大変だ。いやいや日本のビルはしっかりしてるし…。こんなことをぐるぐる考えながら、車道でも舗道でもないガードレールあたりのちゅうぶらりんな場所でおろおろしているうちに、長い揺れは収まりました。あれから1カ月ですが、心は相変わらず落ち着く場所が見つからず、ちゅうぶらりんでおろおろしたままです。

 阪神淡路大震災から1カ月経ったとき、私は取材で神戸入りしました。「いつか店を再開する日のために料理の勉強を続けたいが書店が閉まっていて雑誌が手に入らない、直接送ってほしい」という読者の葉書に感銘を受け、被災地の料理人さんたちはどのように励ましあい、乗り越えたかを取材しようと思ったのです。この時、神戸の街はまだほこりっぽかったのですが片付けが進み、復興の槌音が始まっていました。ホテルに泊まっているのは全国から集った建設会社の人ばかりで、くたびれた背広のおっさんが青い作業服たちに混じって洒落たラウンジで朝食のクロワッサンをつまむのは、その場所に不似合いでなんとも妙な光景でした。その時のことを考えると、今の東北地方は同じ一カ月後でも、復興の歩みが遅々として進んでおらずやりきれません。

 当時取材をしていて感じたのは、マスコミの報道からではうかがい知れない苦労であり、当事者ではない我々には、この人たちの傷みはとうてい骨身にしみて理解できないという掻痒感でした。疲労の色が見られる中でも、将来の希望を力強く語ってくださる料理人さんに感銘をうけつつ、こちら側が癒され、励まされてどうする、という無力感にも襲われました。今度の震災でも、そのちゅうぶらりんな感覚は同じです。
 だからこそ、直接被害に遭わなかった土地の人たちは、フルに想像力を動員して、被災者の心境や境遇を慮らねばなりません。テレビや新聞から伝わるのはごく一部です。悲惨すぎて取材できない撮影できない光景が、カメラやペンがまだ入っていない場所や事実が、あるはずです。

06003.jpg 柴田書店から『地震の時の料理ワザ』という本が出版されていますが、これは阪神淡路大震災を経験した著者が自分の経験を元に、「自宅で過ごしている被災者」を想定して書かれた本です。被災地報道では避難所の光景ばかりが写されますが、そうした人たちばかりではありません。避難所での食事は炊き出しとなるため、個人の手はおよびませんが、自宅避難者は熱源や材料に制限のある中で、自分の力で毎日の食事を手当てすることを考えねばならない。恥ずかしながらこの本を読んで初めて、そうだったのか、と知った次第です。巨大すぎる被害の映像の影に隠れた、小さな(といっては失礼ですが)無数の個人の苦難は、マスコミの派手な報道にはなじみづらいですが、目を向ける努力を怠ってはなりません。

『地震の時の料理ワザ』より、役に立つと思われるポイントをまとめています。
 イラスト付きの内容は、PDFでご覧いただけます。
同書の売上げの一部を東北地方太平洋沖地震の被災地への義援金とさせていただきます。

 ところで地震で崩れた建物を見て思い出すのは、平成17年の耐震偽装事件です。実は世間を大騒がせした木村建設の社長に、発覚の1年前に取材したことがあります。木村建設東京支店は市谷にありまして、古いビルの事務所然とした質素な部屋で話を聞きました。この会社は熊本県八代市の鉄骨業者だったのですが、工事現場に巨大な型枠を組み立ててそこにコンクリートを流して一気に壁を作る「大型型枠工法」を海外から導入し、ホテル建設にのりだしたとのことでした。プレハブ建築でしたら工場で壁を作ったりもするのですが、それを現場で大規模に行なってしまおうというような大胆な発想で、工期短縮につながるというのが売り物です。型枠の組み立てに、鉄骨を運ぶのに使うクレーン技術が役に立った、というようなことを言っておりました。「海外の工法では、地震大国の日本では不安がありませんか?」と尋ねたところ、「わが社は日本免震構造協会の会員でもありますから」と社長は胸を張って答えました。
 取材を終えて辞去しようとした戸口で「うちの社長は高齢で、話があっちこっちに飛びますが、うまくまとめられそうですか…?」と、すまなそうな心配そうな顔の支店長(後日テレビで知りました)に尋ねられました。熊本から念願の東京進出を果たしたわけですから、話したいことはたくさんあって脱線するのも当然ですよと答えておきました。彼が扉を閉めたとき、隣の部屋がホテル開業コンサルタントの総研(総合経営研究所)であることに気づき、ああなるほど、ここと組んでいるのかと了解しました。校正のときに了解をとってその辺の情報を加筆したのですが、実はいま関係がぎくしゃくしていて…といわれ、どうやら総研から独立して事業を進めたい様子でした。
 一年後、耐震偽装問題が発覚し、マスコミは木村建設と総研、ヒューザーを疑惑のトライアングルなどとおおいに書きたてておりましたが、取材時の町の工場主のような印象とのあまりの差に違和感をもちました。鉄骨を減らせばコンクリートが流しやすくなるのが動機なのだろうかとも思いましたが、そもそもこうした木村建設の独自工法にまで立ち入って言及した記事は、当初みられませんでした。結局のところ、姉歯一級建築士の単独犯行だったわけですが、それでは面白い記事にならないため、よく調べもわかりもせずに煽りたてたのでしょう。国会に証人喚問された木村社長や東京支店長が、あまりにおどおどしていて見ていて痛々しいほどでした。
 それでは木村建設が、いわれなく罪を着せられた被害者であるかというとそんなことはありません。設計図に偽装が行なわれたことが内部で発覚したのちも、1カ月近く公にせず、業務を続けました。もっとも隠そうとしていたというよりは、どうにもできずにおろおろしていた、というのが実情でしょう。それでも自分たちが建設したホテルやマンションが欠陥であることを、すぐにでも公表しなければ、万が一大地震があった際に犠牲者がでてしまいます。そこに思い至らず、すぐ行動に移さなかったのが罪なのだと思います。彼らは姉歯にだまされて欠陥建築を作らさせられた被害者ではありますが、加害者の立場でもあるのです。
 のちに社長も支店長も有罪とされ(建築偽装とは別件の粉飾決済や書類偽装の罪ですが)、会社は破産、解散しました。ホテルやマンションの価値が失われるなどの経済的な迷惑はかけましたが、人命が失われたわけではありません。それでも、実に厳しい社会的制裁を受ける結果となりました。

 ひるがえって福島原発といえば、これはもう誰がみても明らかに特定の会社の責任で深刻な被害が生じ、経済も、健康も、生活もおびやかしています。建屋の水素爆発の発表も、放射性物質の放出データの公表も後手後手で遅れています。今は入院なすっているため実現していないのかもしれませんが、東京電力社長は必ずや国会に証人喚問され、「原発が津波に弱いことを認識しながら故意に隠していたのではないか」と、どこかのブログからにわか知識を蓄えた得意満面な議員先生に詰問される日がくるのでしょう。もしそうでないとしたら、ずいぶんと不平等な話です。

 おっと、このブログのタイトル「料理本の…」、とは関係ない話が続きましたね。最後にとってつけたように地震と料理の本の話を。

 戦前、日本の料理界における最高権威は石井泰次郎でした。幕府の料理方であった石井家は、宮中の料理を担当していた高橋家の資料を明治になって引き継ぎます。石井治兵衛・泰次郎親子は、日本初の料理雑誌『包丁塩梅』を立ち上げ、家に伝わる資料をもとに日本料理についてまとめた『日本料理法大全』 『日本料理法大成』を出版しています。必ずしも体系的に書かれているわけではないのでちょっと読みづらいのですが、『大全』のほうは新人物往来社から復刻されてますし、第一出版は両書を現代かなづかいに直して『日本料理法大全』 『続日本料理法大全』の2冊に再編集しています。
 しかし『大成』を刊行した大正12年、石井家は膨大な資料を関東大震災で焼失してしまうのです。友人であった三村竹清の日記に、落胆する石井の様子が書かれています。ところが、いま、慶応大学には石井泰次郎旧蔵文庫(のちに料理研究家の田村魚菜が購入、寄贈したので正式名は魚菜文庫)が納められており(vol16で紹介した稀観本『豆腐百珍餘録』はこの中の一冊です)、日本有数の料理古文献所蔵数を誇っています。

06003_2.jpg これはいったいどういうことか。どうやら石井は震災で多くの蔵書を失った後も、せっせと集めなおしたようなのです。この文庫の資料には、石井独特のクセのある字で書かれた写本もみかけます。コピーのない時代ですから、誰かから借りては写していたのでしょう。震災でもけっして心折れなかった彼の努力のおかげで、今の研究者はずいぶんと助かっているというわけです。なお、石井泰次郎は甥の清水桂一とともに昭和19年に『救荒食物かてもの』を出版しております。これは、米沢藩の上杉鷹山が天明の大飢饉を憂いて出版したサバイバル料理本をもとに活字化したものです。

 さあて、つまらない話はそろそろ終わりにしましょう。東京は急に暖かくなり、桜が満開です。会社のすぐ近くの上野公園は花を楽しみそぞろ歩く老若男女で大賑わい。自粛せよなどと無粋なことを言ったKY爺さんがおりますが、花見とはカラオケで騒ぎ立てる宴会だとばかり思い込んでいるのでしょうね。想像力と人を慮る心が足りなすぎです。花の下で友人と再会し、無事を祝い、静かに歓談してもよいではないですか。そもそも上から命じられては禁止であって、自粛にはなりません。
 桜の季節は年に一度きり。あと何回この花を見られるかは、誰にもわかりません。パソコンを閉じて表に繰り出しませんか。東北の日本酒の1本も携えて。


 

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