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2011年04月08日
料理本のソムリエ [ vo.19 ]
【 vol.19】
関東大震災にめげない石井泰次郎
あの忌まわしい震災から1カ月が経とうとしています。時々思い出したように余震がくるので気が抜けないし、原発の二次災害と被災者の方々の苦難は進行中です。
3月11日のあの時間、私は遅い昼食を終えて大通りを呑気に歩いていました(vol.11 可否茶館の石碑のある通りです)。お店の人が店頭に飾った商品を大慌てで押さえ始めたのを見て、何が起きたのかと思ったら(鈍感ですね)、いきなり生き物の背中に立っているかのように足元が不安定になりました。見上げると10階建てくらいのビルが一斉に、ムーミンのニョロニョロのように首をふっております。このまま道にいてよいものか。窓ガラスが割れて降ってきたらどうしよう。もっと車道へ避けようか。でも車に轢かれるかもしれない。ビルの中に飛び込もうか。崩れでもしたら大変だ。いやいや日本のビルはしっかりしてるし…。こんなことをぐるぐる考えながら、車道でも舗道でもないガードレールあたりのちゅうぶらりんな場所でおろおろしているうちに、長い揺れは収まりました。あれから1カ月ですが、心は相変わらず落ち着く場所が見つからず、ちゅうぶらりんでおろおろしたままです。
阪神淡路大震災から1カ月経ったとき、私は取材で神戸入りしました。「いつか店を再開する日のために料理の勉強を続けたいが書店が閉まっていて雑誌が手に入らない、直接送ってほしい」という読者の葉書に感銘を受け、被災地の料理人さんたちはどのように励ましあい、乗り越えたかを取材しようと思ったのです。この時、神戸の街はまだほこりっぽかったのですが片付けが進み、復興の槌音が始まっていました。ホテルに泊まっているのは全国から集った建設会社の人ばかりで、くたびれた背広のおっさんが青い作業服たちに混じって洒落たラウンジで朝食のクロワッサンをつまむのは、その場所に不似合いでなんとも妙な光景でした。その時のことを考えると、今の東北地方は同じ一カ月後でも、復興の歩みが遅々として進んでおらずやりきれません。
当時取材をしていて感じたのは、マスコミの報道からではうかがい知れない苦労であり、当事者ではない我々には、この人たちの傷みはとうてい骨身にしみて理解できないという掻痒感でした。疲労の色が見られる中でも、将来の希望を力強く語ってくださる料理人さんに感銘をうけつつ、こちら側が癒され、励まされてどうする、という無力感にも襲われました。今度の震災でも、そのちゅうぶらりんな感覚は同じです。
だからこそ、直接被害に遭わなかった土地の人たちは、フルに想像力を動員して、被災者の心境や境遇を慮らねばなりません。テレビや新聞から伝わるのはごく一部です。悲惨すぎて取材できない撮影できない光景が、カメラやペンがまだ入っていない場所や事実が、あるはずです。
柴田書店から『地震の時の料理ワザ』という本が出版されていますが、これは阪神淡路大震災を経験した著者が自分の経験を元に、「自宅で過ごしている被災者」を想定して書かれた本です。被災地報道では避難所の光景ばかりが写されますが、そうした人たちばかりではありません。避難所での食事は炊き出しとなるため、個人の手はおよびませんが、自宅避難者は熱源や材料に制限のある中で、自分の力で毎日の食事を手当てすることを考えねばならない。恥ずかしながらこの本を読んで初めて、そうだったのか、と知った次第です。巨大すぎる被害の映像の影に隠れた、小さな(といっては失礼ですが)無数の個人の苦難は、マスコミの派手な報道にはなじみづらいですが、目を向ける努力を怠ってはなりません。
*『地震の時の料理ワザ』より、役に立つと思われるポイントをまとめています。
イラスト付きの内容は、PDFでご覧いただけます。
*同書の売上げの一部を東北地方太平洋沖地震の被災地への義援金とさせていただきます。
ところで地震で崩れた建物を見て思い出すのは、平成17年の耐震偽装事件です。実は世間を大騒がせした木村建設の社長に、発覚の1年前に取材したことがあります。木村建設東京支店は市谷にありまして、古いビルの事務所然とした質素な部屋で話を聞きました。この会社は熊本県八代市の鉄骨業者だったのですが、工事現場に巨大な型枠を組み立ててそこにコンクリートを流して一気に壁を作る「大型型枠工法」を海外から導入し、ホテル建設にのりだしたとのことでした。プレハブ建築でしたら工場で壁を作ったりもするのですが、それを現場で大規模に行なってしまおうというような大胆な発想で、工期短縮につながるというのが売り物です。型枠の組み立てに、鉄骨を運ぶのに使うクレーン技術が役に立った、というようなことを言っておりました。「海外の工法では、地震大国の日本では不安がありませんか?」と尋ねたところ、「わが社は日本免震構造協会の会員でもありますから」と社長は胸を張って答えました。
取材を終えて辞去しようとした戸口で「うちの社長は高齢で、話があっちこっちに飛びますが、うまくまとめられそうですか…?」と、すまなそうな心配そうな顔の支店長(後日テレビで知りました)に尋ねられました。熊本から念願の東京進出を果たしたわけですから、話したいことはたくさんあって脱線するのも当然ですよと答えておきました。彼が扉を閉めたとき、隣の部屋がホテル開業コンサルタントの総研(総合経営研究所)であることに気づき、ああなるほど、ここと組んでいるのかと了解しました。校正のときに了解をとってその辺の情報を加筆したのですが、実はいま関係がぎくしゃくしていて…といわれ、どうやら総研から独立して事業を進めたい様子でした。
一年後、耐震偽装問題が発覚し、マスコミは木村建設と総研、ヒューザーを疑惑のトライアングルなどとおおいに書きたてておりましたが、取材時の町の工場主のような印象とのあまりの差に違和感をもちました。鉄骨を減らせばコンクリートが流しやすくなるのが動機なのだろうかとも思いましたが、そもそもこうした木村建設の独自工法にまで立ち入って言及した記事は、当初みられませんでした。結局のところ、姉歯一級建築士の単独犯行だったわけですが、それでは面白い記事にならないため、よく調べもわかりもせずに煽りたてたのでしょう。国会に証人喚問された木村社長や東京支店長が、あまりにおどおどしていて見ていて痛々しいほどでした。
それでは木村建設が、いわれなく罪を着せられた被害者であるかというとそんなことはありません。設計図に偽装が行なわれたことが内部で発覚したのちも、1カ月近く公にせず、業務を続けました。もっとも隠そうとしていたというよりは、どうにもできずにおろおろしていた、というのが実情でしょう。それでも自分たちが建設したホテルやマンションが欠陥であることを、すぐにでも公表しなければ、万が一大地震があった際に犠牲者がでてしまいます。そこに思い至らず、すぐ行動に移さなかったのが罪なのだと思います。彼らは姉歯にだまされて欠陥建築を作らさせられた被害者ではありますが、加害者の立場でもあるのです。
のちに社長も支店長も有罪とされ(建築偽装とは別件の粉飾決済や書類偽装の罪ですが)、会社は破産、解散しました。ホテルやマンションの価値が失われるなどの経済的な迷惑はかけましたが、人命が失われたわけではありません。それでも、実に厳しい社会的制裁を受ける結果となりました。
ひるがえって福島原発といえば、これはもう誰がみても明らかに特定の会社の責任で深刻な被害が生じ、経済も、健康も、生活もおびやかしています。建屋の水素爆発の発表も、放射性物質の放出データの公表も後手後手で遅れています。今は入院なすっているため実現していないのかもしれませんが、東京電力社長は必ずや国会に証人喚問され、「原発が津波に弱いことを認識しながら故意に隠していたのではないか」と、どこかのブログからにわか知識を蓄えた得意満面な議員先生に詰問される日がくるのでしょう。もしそうでないとしたら、ずいぶんと不平等な話です。
おっと、このブログのタイトル「料理本の…」、とは関係ない話が続きましたね。最後にとってつけたように地震と料理の本の話を。
戦前、日本の料理界における最高権威は石井泰次郎でした。幕府の料理方であった石井家は、宮中の料理を担当していた高橋家の資料を明治になって引き継ぎます。石井治兵衛・泰次郎親子は、日本初の料理雑誌『包丁塩梅』を立ち上げ、家に伝わる資料をもとに日本料理についてまとめた『日本料理法大全』 『日本料理法大成』を出版しています。必ずしも体系的に書かれているわけではないのでちょっと読みづらいのですが、『大全』のほうは新人物往来社から復刻されてますし、第一出版は両書を現代かなづかいに直して『日本料理法大全』 『続日本料理法大全』の2冊に再編集しています。
しかし『大成』を刊行した大正12年、石井家は膨大な資料を関東大震災で焼失してしまうのです。友人であった三村竹清の日記に、落胆する石井の様子が書かれています。ところが、いま、慶応大学には石井泰次郎旧蔵文庫(のちに料理研究家の田村魚菜が購入、寄贈したので正式名は魚菜文庫)が納められており(vol16で紹介した稀観本『豆腐百珍餘録』はこの中の一冊です)、日本有数の料理古文献所蔵数を誇っています。
これはいったいどういうことか。どうやら石井は震災で多くの蔵書を失った後も、せっせと集めなおしたようなのです。この文庫の資料には、石井独特のクセのある字で書かれた写本もみかけます。コピーのない時代ですから、誰かから借りては写していたのでしょう。震災でもけっして心折れなかった彼の努力のおかげで、今の研究者はずいぶんと助かっているというわけです。なお、石井泰次郎は甥の清水桂一とともに昭和19年に『救荒食物かてもの』を出版しております。これは、米沢藩の上杉鷹山が天明の大飢饉を憂いて出版したサバイバル料理本をもとに活字化したものです。
さあて、つまらない話はそろそろ終わりにしましょう。東京は急に暖かくなり、桜が満開です。会社のすぐ近くの上野公園は花を楽しみそぞろ歩く老若男女で大賑わい。自粛せよなどと無粋なことを言ったKY爺さんがおりますが、花見とはカラオケで騒ぎ立てる宴会だとばかり思い込んでいるのでしょうね。想像力と人を慮る心が足りなすぎです。花の下で友人と再会し、無事を祝い、静かに歓談してもよいではないですか。そもそも上から命じられては禁止であって、自粛にはなりません。
桜の季節は年に一度きり。あと何回この花を見られるかは、誰にもわかりません。パソコンを閉じて表に繰り出しませんか。東北の日本酒の1本も携えて。
投稿者 webmaster : 2011年04月08日 14:58