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2011年09月27日
料理本のソムリエ [ vol.29]
【 vol.29】
ところでこのブログって何なの?
いつの間にか予告宣伝もなしになあんとなく始まったこのブログ、はたして1年続けさせてもらえるかしら、と思っていたのですが、いつのまにか30の大台に突入寸前、1年と5カ月も続いておりました。
震災直後は新着情報の欄に『地震の時の料理ワザ』のPDF無料公開という重要なお知らせが貼り付けてあったので、それを押しのけないようにと更新をお休みしているうちにすっかりボケて、1周年を見過ごしておりました。
いまさら約1周半年記念もないのですが、ここであらためてこのブログについて説明しましょう。ときどき料理本からそれてきて、原発とマスコミ批判なんだか古本自慢なんだかおっさんの繰言なんだか、コーナーの趣旨がよくわからなくなったりしますし。
このブログの存在意義は、ずばり!「編集部だより」の埋め草です。当社HPでは新刊の発売がありますと、担当編集者が工夫をこらしてその書籍の見所や編集上の苦労話などを紹介しております(必見ですぞ)。ところが新刊書籍の刊行は編集や印刷の都合で、コンスタントに続くとは限りません。これでは更新がまばらになってしまう。そこで2週に1回くらいのペースで定期的に何か記事を配信し、いつもこのページの存在を気にかけていただこうと、世にあまたある料理本を広く案内するコーナーが設けられたというわけです。そのため新刊書が多い週はお休みしたり、パソコンのハードディスクがお釈迦になった週はお休みしたり、自分の仕事でお尻に火がついた週はお休みしたりと、休み多めで気ままにひっそりと更新しております。
「料理本のソムリエ」というタイトルは良書をガイドしようという狙いからだったのですが、本の紹介はそっちのけでだんだん雑談中心の「料理本のおたく」の色合いが濃くなっております。1年以上経ちました間にわが社HP のコンテンツも充実してきたので、もはや風前の灯といえましょう。
料理本の紹介コーナーにしては、圧倒的シェアを占めるおかずレシピ本をほとんど取り上げておりませんが、これはレシピのよしあしというのは好みが反映しやすくて、誰にでもお勧めできると言い切るのが難しいため(というのが逃げ口上)。読者がどんなライフスタイルなのか(「ごちそうさマウス」が聞きたいステキな奥様なのか、だめんずを旦那にもったOLなのか)、誰のために作るのか(毎日ドカ弁持参の体育会系中学生なのか、「油物は苦手だとあれほど言っているのに!」が口癖の姑なのか)でも、評価基準がずいぶん違ってきますし。まあ専門書の出版社のHPなので、おかずレシピ情報を求めている読者はおるまいし、そもそも家庭の主婦どころか料理人さんすらこのブログを閲覧しているのかしら? たぶん読者は新刊情報を得るためにご覧になる書店関係者やお世話になっている取引関係のかたが多いと思うので、本好き相手を前提に社内報感覚で書かせていただいております。だから、やたらに本郷や湯島界隈の話題が多いです。
営業的には柴田書店の既刊書(それもまだ在庫のあるもの)をもっと取り上げるべきなのですが、そればっかりなのも口はばったいよなあ、写真を多く入れようとするとどうしたって柴田の本から採ることになるしねえ、などと逡巡しているうちに、あっという間にあらぬ方向へと迷走し始めました。おまけに vol.15 でソムリエどころか、ご隠居であることをみずからリークしてしまいました。話題がかびくさい方面に偏っているうえに、いちいち揚げ足取り調なのは年のせいと思って勘弁していただきたく思います。むかーし、月刊誌の書評コーナーを担当していた頃、以前もさんざん見たことのあるような安直な料理本が次々と出版されるのに「お前ら料理本をなめとんのかっ」と切れかけた辛い経験がありまして。なにせ、当時はネットなどありませんから、出版取次の新刊予告を隅から隅まで読んで、おっ、これは取り上げられそうだぞというのを見つけるたびに本屋に走るというアナログな選考方法をしていたので、期待が裏切られると憎さ百倍。これはぜひ紹介したいという料理本を毎月3冊探し出すのが、なかなかの負担でありました。
その点、ここでは冊数の決まりもないし、新刊に限っていないので気楽です。コメント欄がないので炎上もしませんしね。そのぶん、どなたが読んでくださっているのかさっぱりわかりませんが…。
そもそも「専門出版社は取材先がイコール読者なので、読者の顔が見えている」なんて言われますが、そうとも限りませんぞ。料理長さんのところに取材に行っても「若い頃はおたくの本で勉強したよ!」っていうありがたい話をうかがうことはよくありますが、最近の本となると意外と話題になることが少ないのです。お忙しい料理長クラスは普段そんなには本を読まれないようですし、今さらよその人の料理を見て参考にする必要もないのが当然でしょうし。ただ、さんざん「昔は読んだ」と聞かされるのも切ない話です。今はいったいどんな方が柴田書店の本をどう読まれているのでしょう。Amazonを見ても売れてる本だからといって必ずしもコメントがついているとは限らないし……。
その点、綴じ込みの読者ハガキの回答は、ためになりますしはげみになります。お叱りもまた甘んじて受けておりますので、どうかご返信お願いします。でもあえて、あえて言うなら、ほめてくださると担当者はうれしいです。とてもうれしいです(大事なことなので二回言いました)。ただ、ときどき同業他社の本を小社の出版物と勘違いされて、おほめの言葉をくださる方もいらっしゃいますが……。
ハガキの場合、マメに返してくださるのは、どうも料理人さんよりは会社関係や主婦の方が多いようです。それもどうしても年齢層は上のほうに寄っています。ときにはリタイアされた料理好きな方だったり、会社のお偉いさんだったり。こうしたかたは、ときどき思い入れの余り小社に直接電話をかけてくださることもありますが、多忙の折はどうかどうか短めに……。
じゃあ、若い人には小社の本をご覧いただけていないのか。どんな感想を抱かれているのか。ブログやツイッター上に流れているかしらと思って検索しても、これまたそうは多くヒットしません。つぶやきは短いですから、読んでためになったのかならなかったのか、よくわからないこともあるし、ブログはアフィリエイト狙いも多いし……。そもそも料理本ってほかの本との違いを説明しづらく、紹介したり話題に上げたりするのが正直面倒ですよねって書いたりすると、このブログの存在理由が脅かされるのでこの辺でやめておきます。
こうした不安を抱いたときには、本屋さんへと参ります(リアル書店万歳!)。料理本の棚に行くとときどき小社の本を読まれている方がいらっしゃるので、棚の影から星明子ばりに温かい目で見守るわけです(キモっとか言わないでください。承知してるし)。たとえ他社の本でも、何が人気なのか、どこが面白いのかは立ち読みしている人の目の色でわかります。まあできれば小社の本をレジに持っていってもらえるとうれしいので、「買えー、買えー」と念を送ったりもしますが、あんまり効果がありません。
時には若い料理人さんが彼女さん連れで来店して、本の内容をいちいち説明しているなんていうほほえましい場面にでくわすこともあります。「この料理(パテ・アンクルートでした)、今うちの店でも出してるけど、うまいんだよねえー」「えー、こんど食べさせてよー」とか。え? 別にやっかんだりしてませんよ? 会話してもらうとどこをどのように読んでいるのかわかり、いいデータが取れますので大歓迎。もっともいつの間にか料理と違う雑談に変わった挙句の果てに、一冊も買わずに帰られた日にゃ、落胆と殺意のこもった目に変わりますが。でもよく考えたらカップル客の多いカウンター店の料理人さんは、しょっちゅうこういう目にあっているわけですよね。若い皆さんは料理がサービスされたら、お話を中断してすぐに箸をつけましょうね。
その点、電車の中で小社の本を開いている人に出会ったときは、確実に購入してくださっているので(そりゃそうだ)手放しにうれしいです。めったにありませんが。私の先輩は、電車に乗っていたら隣に座った人が自分の編集している雑誌を持っていたのでうれしくなって「その本のどこが面白いですかっ?」って思わず聞いてしまった、なんて話もあります。一般誌やベストセラーをばんばんヒットさせている出版社と比べると、いじらしくも涙ぐましい話です。
私が去年出くわしたのは別冊の『イタリア料理の技法』を読んでいらっしゃるかたでした。ずいぶん古いムックです。先輩に借りたのかなあ。おおっ、そこのページの座談会は私が月刊誌時代に担当した企画だぞっと思ってわくわくして見ていたら、いきなりとばされました(泣)。アーリオ・オーリオのページを熟読されています。まだ修業したての人なのかなあと思っていると、リゾットのページにきたらパスタに戻ってラヴィオリの打ち方をガン見。急に難易度が上がりましたよ。余計なものはいいからパスタをがんがん見せろという意志表示でしょうか。もうどうしたら彼の琴線に触れることができるのか、わかりません。
夜の電車は仕事帰りの料理人さんらしきかたも多いですね。
『サラダ・サラダ・サラダ』をご覧になっているかたを目撃したこともあります。ところが、座って読んでいるうちに、どうしても仕事疲れのために眠くなってしまう。ぱたんと閉じてはハッ、ばさっと取り落としてはハッ……。最後には観念して大事そうにしっかりと胸に抱きかかえておやすみになってしまいました。うっかり車内に忘れたら大変ですからね。カバンに入れづらいサイズのちょっと高めの本ばかりで申し訳ありません。明日もどうかお仕事頑張ってください。
投稿者 webmaster : 18:53
2011年09月21日
『トーキョーバル』 担当編集者より♪
『トーキョーバル』
柴田書店編
発行年月:2011年9月20日
判型:B5変 頁数:232頁
いま、都心の繁華街ではあらゆるスタイルのバル・バールを体験することができます。
銀座もそんな街のひとつ。
私のある日の足取りをトレースしながら、銀座の人気店をご案内しましょう。
(1) イタリアンバール ラ ヴィオラ
15時。
銀座の中心部、並木通りに店を構えるラ ヴィオラは、待ち合わせにうってつけ。
大理石の長いカウンターを設えたモダンでエレガントな空間は、
“大人”な銀座のイメージにぴったりだ。
11時 ― 23時までの通し営業で、昼飲みも可能。
スタンディングのフロアを選べば、料理もドリンクも着席スタイルのサロンより
割安と気がきいている。
スプマンテと「プチトマトのピクルス」をオーダーし、
人を待つ。
しかし、30分経過も現れず、
「ズッキーニとベーコンのパニーノ」を追加注文。
小腹が満たされ、イライラが静まったころ、
待ち人到着。
(2) バル デ エスパーニャ ペロ
17時30分。
口開けのタイミングで入店。
本場スペインのバルをストレートに再現した店で、
スペイン人のF1レーサー、フェルナンド・アロンソも
日本グランプリの際に立ち寄るという。
スターターに選んだのは、
白ワインと「イベリコハムとポテト、しし唐」。
次第に店内は賑やかになり、
「素敵な店ね」と喜ぶ連れの表情に、
私の気分も上々。
スペインづくしのワインとつまみを堪能し、
「魚介のパエリア」で締める。
よし、調子にのってもう1軒。
(3) スペインバル&レストラン バニュルス
21時。
店の外に置かれた酒樽をテーブル代わりに、楽しそうに酒を飲む人々。
先の2店よりもぐっとカジュアルな印象。
われわれも酒樽を確保し、
白ワインを立ち飲みしながら、
「吉田豚と鶏白レバーのパテ」をつつく。
グラスワインのリストをあらためて眺めると、
約20銘柄とバラエティに富んだ品揃え。
このタイミングが勝負どころと見極め、ワインのうんちくを披露する。
ところが、「2階は落ち着いた感じのレストランみたいだよ。
今度はそっちに行きたいな」と言い残し、去っていく連れ。
荒れた心を癒すべく、次の店に。
(4) カレーとワイン ポール
23時。
ラストオーダーのタイミングで入店。
グラスになみなみ注がれた赤ワイン、
そして「自家製ソーセージ」と「カレードリア」で、
やけ食い・やけ飲み反省会スタート(ひとり)。
カスレやシャルキュトリーなど
ビストロ的なメニューの中にカレードリア。
その謎に迫るのは後にして、
今日の出来事をふり返ってみる。
店のチョイスは最高。
反省点があるとすればトークということか。
傷心する私。
フレンドリーな接客、リーズナブルな価格
―― そんな店のやさしさは、せめてもの救いだ。
これは給料日直後で、なおかつテンション高めの時の特別コース。
もちろん、どの店もいろんなシーンで使えるし、ひとり飲みもウェルカム。
便利で気軽、そのうえ料理のジャンルや空間デザインなど店のスタイルはいろいろ
―― なのにどの店も銀座になじむ空気感を持っているところが、
私のおすすめポイントです。
バルの本場スペインには、どの街にも地域の社交場として愛されるバルがあるといいます。そんな文化は遠く離れた日本にも根付き、住宅地には東京・三鷹の 「三鷹バル」 や代田の 「世田谷バル」 のように、地方に目を向ければ大阪の 「エル ポニエンテ ゴソ」 や京都の 「ポキート」 のように、地域のニーズやその土地土地の風土に合ったスタイルで、たくさんの花を咲かせています。
本書に収録した人気店のメニューと店づくりに、“ニッポン”のバル・バールのいまを感じてください。
投稿者 webmaster : 14:28
2011年09月14日
料理本のソムリエ [ vol.28 ]
【 vol.28】
トウガラシ伝来は日中韓のどこが先?
9月に入っても暑さがなかなか引かないですね。まるで東南アジアみたいな蒸しっぷり。もわっとした風呂場で生活しているみたいです。こういうときは辛いものが一番とばかりに、会社にイスラエル産のトウガラシがもたらされました。じんわり辛いのとパプリカのような味のと2種類、営業部のT君の到来物です。最近イスラエルでサッカーの試合があったっけ?と首をひねりましたが、どうやら今回はただの夏休みのバカンスのようです。
ということで今回はトウガラシがテーマ。海の向こうのとほほな記事をつまみにしたいと思います。ちょっと前、韓国食品研究院は「トウガラシは朝鮮半島に自生していた」という香ばしい(トウガラシだけに?)新説を主張したそうです(4月27日付のexciteニュース“唐辛子は日本から韓国に伝わってきた!? 唐辛子のおもしろ由来”・5月9日付のsearchina“「唐辛子は朝鮮半島に自生していた」韓国人学者が日本伝来説を否定”)。
あいにくハングルが読めないので大きなことはいえませんが、記事を見る限りにおいては、あちらのトウガラシ研究者さんは揃いも揃って漢文を扱うのが苦手のようで、大真面目であらぬ方向に突き進んでいます。韓国では漢字教育が排されて久しいとはいえ、こんなことではご先祖様への冒涜にならないんですかねえ。同研究院の権大泳(クォン・テヨン)博士は、以前もコチュジャンは15世紀から文献に登場しており、この頃からトウガラシは韓国にあったなどと主張しており(2009年2月19日付の中央日報“唐辛子、朝鮮初期にもあった”)、昨日今日で思いついた珍説ではなさそうです。ちなみにヨーロッパに最初にトウガラシをもたらしたのは1493年に帰国したコロンブスだそうですが……。
もっともわが邦の愛国青年におきましても、そそっかしさにおいてはけっして半島の民に負けてはおりません。Wikipediaでは朝鮮の文禄年間に書かれた『芝峰縲絏』に「倭国から来た南蛮椒には強い毒がある」と書かれていると紹介されており、それをそのままコピペして韓国自生説を批判しているHPをいくつも見かけました。まずは落ち着いて芝峰縲絏なる本(?)がどこの所蔵で、そのどのあたりに書いてあるのかを調べてからにしなさいな。反日工作員が仕掛けた釣りかもしれませんぞ。
南米原産のトウガラシがどのようにして東洋世界に広がったかというのは、実はなかなか興味深い話題です。韓国へは日本を経由して伝来したという説はvol.2でも紹介した李盛雨先生が打ち立てたものなのですが、国家の誇りのkimchi(「キムチ」ではありませんよ。発音が違う!とトウガラシのように真っ赤になって怒られちゃいますよ)の主材料が日本伝来などという事実はどうしても認めたくない人たちがいるようです。李先生の衣鉢を継ぐ鄭大聲氏も小社刊『朝鮮食物誌』で、日本経由や中国経由のほか、ヨーロッパから直接もたらされた可能性もあると結論を留保されています。しかし残念ながら当時の宣教師は朝鮮半島では布教活動を行なっておらず、交易船が立ち寄ったという記録もありません。南米の産品の流入は中国や日本が先行したのは明らかです。
それでは中国→韓国→日本というルートはどうかといいますと、中国にトウガラシが伝来したのもかなり遅いのです。トウガラシ抜きの四川料理なんて考えられない気がしますが、一般に食用されるようになったのは清の時代から。中国文献のトウガラシの初出は1591年の『遵生八牋』とされていますが、ここでは「使い古した筆の先みたいな形で、辛い味」の観賞用植物として登場しております。この本は隠逸思想に基づく理想の生活を述べたものでして、養生のための料理も多く紹介されていることで有名なのですが、明代前半の『易牙遺意』のレシピからの丸写しが多いせいもあってか、食材としては出てきておりません。もっともこんな辛いものは養生のためにならん、と無視したのかもしれませんが。
ちなみに日本におけるトウガラシの記録の初出は『多聞院日記』で1593年。要約すると、「コショウの種をもらって植えてみた。ナスの種のように少し平たく、皮は赤い袋で中に種がたくさん入っている。赤い皮の辛さは肝をつぶす。コショウの味でもなく辛いこと類がない」とあり、コショウであってコショウより辛いこれはどうみてもトウガラシのことでしょう(今でも柚子胡椒なんていいますものね)。日本はすでにこの頃、奈良にまでトウガラシの種が普及していて、常食したかどうかは別として、その味も知られていたことがわかります。それにしても興福寺のお坊さんともあろうものが、辛くて刺激的な植物に興味を示すとは。隠逸なんてとてもできそうにないですね。
いっぽう李盛雨氏の日本伝来説は、李氏朝鮮では1614年の百科全書『芝峰類説』が初出であり、「倭国からきたので俗に倭芥子と呼ぶ」とあることからくるものです。また当時の料理やキムチのレシピにもトウガラシらしきものがまったく見当たらないのも状況証拠としています。理性的な判断ですね。なお前述の『芝峰縲絏』は、どこかの慌て者が“ルイセツ”を誤ってワープロ変換したものでしょう。よく見りゃWikipediaに引用されている内容は『芝峰類説』とおんなじです(だいたい「縲絏」=お縄にかける、捕縛するで、書名としてへんてこなことは明白なんですが……)。
こうなると韓民族の自尊心を保つためにはあっと驚く逆説の韓国史、日本や中国どころかヨーロッパも経由しない“韓国自生説”の出番しかありません。アジアとアメリカがつながった氷河期にトウガラシが渡来し韓半島の奥地でひっそりと生き残っていたのか、コロンブス以前に中南米の文明と李氏朝鮮との間にひそかな交流があったのか……。壮大なロマンにわくわくしてきました。マヤ文字はハングルから作られたのかもしれませんぞ。
実はトウガラシの伝播については2009年刊の『キムチの文化史』で佐々木道雄氏が日韓の多くの資料を渉猟しておりまして、権先生らが挙げた文献にもとうに触れております。宣教師のルイス・フロイスが1577年8月10日の書簡で、日本人が喜ぶ品として酢漬けのトウガラシを挙げていることも指摘しています。ただし、残念なことに佐々木先生も日中韓の伝来時期にやたら拘泥しておりまして、隘路にはまっております。そもそも中国の文献には疎いようで、よせばいいのに中国語版Wikipediaを参照して論を組み立てるものだから、先行研究を無視して遠回りしてみたり……。みなさんどうしてこうもWikiが大好きなのかなあ。なお中国ではGoogle同様にWikiも風当たりが強く、国産の「百度百科」のほうが盛んに使われてまして、トウガラシの由来についての記述もこちらのほうが格段に詳しいです。
ちなみに今の中国語ではトウガラシは「辣椒」ですが、昔は「蕃椒」と呼んでおりました。蕃は蕃国、つまり海外から来た食材を指す言葉ですね。それをいうなら胡椒の「胡」も西域を示す言葉ですからまぎらわしい。実際、当時の文献をみると山椒と胡椒と蕃椒がこんがらがって学者の頭を悩ませている様子がわかります。言葉は変化しますからなおのことで、文献で見つけた単語がトウガラシを指すと同定できる確たる証拠が必要です。
たとえば例の韓国食品研究院の権先生は、1489年の救急マニュアル『救急簡易方』に「卒咳嗽、以梨一顆刺作五十孔、毎孔内以椒一粒…」とあり、文中の“椒”にハングルでコチュと注がつけられていたことから、これはトウガラシであると主張します。しかしこの処方箋は結構いろいろな中国医書に載っておりまして、オリジナルはなんと東晋(4世紀)の時代の『肘後備急方』にまでさかのぼれます。そもそも梨に50の穴を空けて1粒ずつ入れるのに使う「椒」というのは、粒の大きさからいって山椒か胡椒あたりが無難では……。事際、明代の『普済方』は同じ処方箋を川椒(四川のサンショウ)と改めておりました。新高にタイ産のプリッキーヌーを刺すのなら、なんとかなるかなあ。あるいは半島の人は中国の医学書に載っていた薬をまちがえて別の国産材料で一生懸命作ってたってことなんでしょうか(それで治るのか?)。権先生がコチュジャンのことだと主張する「椒醤」も、実山椒のペーストか何かと考えるほうが無理がないと思うのですが……。
中国の文献にでてくる植物名が自国の何にあたるのかを調べるのは古来より「名物学」といいまして、日本でも韓国でも漢文に堪能だった昔の人の研究のほうが今よりよっぽどまともだったりします。江戸時代のトウガラシ研究で出色なのは、平賀源内の『蕃椒譜』。彼が偉いのはここに挙げたような文献集めだけでなく、当時栽培されていたトウガラシを収集、図解するという自然科学的な視点も備えている点です。中には黄色くて金柑のような姿のものや、ハバネロみたいなベル形のものもありますが、いったいどんな味だったのでしょう。
『平賀源内全集』 より
この資料は源内自筆の稿本が昭和になって発見されて、戦前に完全復刻されている(なにしろ上から紙を貼って加筆した部分もオリジナルに忠実に)ため、今でも見ることができますが、そのオリジナルは戦火を逃れることはできたのでしょうか……。
源内の時代から日本のトウガラシ伝来は諸説ありまして、今に至るまで決定打はありません。そもそも数少ない文献を頼りに今さらどこが先に伝来したかを取沙汰したところで、サッカーの試合を韓日戦と呼ぶか日韓戦と呼ぶかのようなもので、さほど建設的とは思えません。多少前後するにせよ日中韓ほぼ同時期に広まったと考えてよいでしょう。実際遺伝子的には三国のトウガラシはかなり近い関係にあるそうです(『トウガラシ 辛味の科学』)。つまらない家元争いのエネルギーはもっと別のところにふりむけてほしいものです。
というのも、世界全体を見渡しても、トウガラシは短期間で一気に広まったようなのです。『世界を変えた野菜読本』を開くとサハラ砂漠以南のアフリカに普及したのが1500年代前半で、インドで数種類のトウガラシが栽培されたのが1540年代とあります。ドイツの植物学者フックスはトウガラシをインドペパー、イギリスのジェラードはギニーペパーとして紹介しており、スペインから東向きに伝わったのではなく、インドやアフリカから逆戻りしたことがわかります。一方、ハンガリーのようにトルコ帝国から伝わるケースもあるようです。こうしてみると16世紀後半が転換期のようでして、あっという間にグローバル化。東アジアの端っこレベルではなく、世界規模で研究したらさぞや面白そう。もっとも各国の文献に通じていなければならず、学際的な大プロジェクトになりそうですが。
既刊の『トウガラシの文化誌』は著者がインド生まれということもあって広く世界に目配りされており、タバスコなども含めていろいろな薀蓄が語られています。また日本の歴史・民族学者たちが結集して自分の研究対象地域のトウガラシの使い方を紹介する『トウガラシ讃歌』は、ありとあらゆる地域(なにせ中南米やヨーロッパはいわずもがな、トルコにアラブ、西アフリカにエチオピアにタンザニア、フィリピン、ネパール、ブータン、チベットまで)の使用法が登場いたします。しかし両書とも惜しいことに、伝播の過程とその影響、つまりトウガラシ渡来以前と以降で食文化がどう変わったのかがよくわかりません。
やれ「中国4000年の味」だとか、「舌は三代」などといいますが、とんでもない。いいとなったら未知の食材でもまたたく間に広がり、それまであった味の体系そのものまで変わってしまう。そこが面白くもあり、知りたくもあります。人間はそれだけ柔軟性を持っている。となると料理は今現在も、刻々と姿を変えていることでしょう。
投稿者 webmaster : 10:03
2011年09月06日
『決定版 レヌ・アロラのおいしいインド料理』 Part 3
『決定版 レヌ・アロラのおいしいインド料理』
著者:レヌ・アロラ
発行年月:2011年8月8日
判型:B5変 頁数:184頁
スパイス、料理の猛特訓 !!!
“ヒング” というスパイスがあります。
インド人が便秘知らず(だったのですね!)だというのは
このスパイスのおかげだと、アロラさんはいいます。
インドでは常備するスパイスのひとつで、
どんな料理にも使える万能選手だとか。
でも、アロラさんは久しくこのスパイスを遠ざけていました。
アロラさんのお母様がいくら薦めても。
なぜならばこのスパイス、
トイレの消臭剤のようなにおいがするからなのです。
アロラさんは歳を重ねていくうちに、
体にいいからというお母様の助言もあり、
このスパイスと向き合うようになったといいます。
◎ヒング (塊、粉)
くさいけれど消化を助ける
“必須スパイス”。
西アジア原産の
セリ科の多年草からつくる。
ヒングは最初に油といっしょに熱して使う
スタータースパイスのひとつです。
でも、どこまで加熱したらいいかの見極めがむずかしかったといいます。
いまではそれを上手に使いこなしています。
油といっしょに加熱していくと、ある瞬間から香りが変わります。
くさいにおいが消えて、玉ネギを炒めたような香りになるのです。
実はこの香りの変化を実感するために私も猛特訓を受けました。
ヒングを油で加熱するとき、私とスタイリストの高橋みどりさんが呼ばれました。
アロラさんの両側にふたりが立つようにいわれ、
その位置に立つやいなやアロラさんは私たちの首根っこをつかみ、
鍋の油の上に近づけたのです。
え、ナニこれ?
「わかりますか? そのうちにおいが変わってきます。
よーくにおいを嗅いでいてくださいね」とアロラさん。
まだ、ヒングのことも詳しく聞いていないときに突然のことだったので、
わけがわかりません。
でも、確かにくさいにおいがなくなる瞬間がありました。
そしてかすかに甘い香りが。
顔を火にかけた油に近づけたといっても心配ありません。
鍋は洗ったあとの水気をしっかりふきとるように
助手さんたちには口をすっぱくしていい、
火加減は長年の経験ではねないようにごく弱火です。
もうひとつ、 “パニール” の特訓も受けました。
パニールとは「インドのチーズ」のようなものです。
インドではバターやマーガリンなどのようにお店で買うもので、
家庭ではあまりつくらないとのこと。
でも、日本にはないのでレシピを考えました。
通常は、牛乳やヨーグルトに凝固させるための
酢やレモン汁を加えてから水分を除き、固めてつくります。
アロラさんの場合は生クリームを加えて
リッチな味にしているのが特徴です。
(左) ◎パニール
(右) ◎レッドパッパー
パニール
そのパニールのプロセス撮りをしました。
見ているとポイントさえ押さえればむずかしくはありません。
でも、アロラさんいわく、生徒さんたちはこんなに簡単なのに、
むずかしそうといってなかなかつくろうとしないというのです。
つくってみようとしないからそう思うのだと。
食わず嫌いならぬ、つくらず嫌い、でしょうか。
その日の撮影が終わり、さぁ帰ろうというときに、
アロラさんがこれを持って帰ってねと
私とスタイリストのみどりさんに渡したものがあります。
牛乳、生クリームとレモン、それに赤ちゃん用品売場で売られているという
2重になったガーゼハンカチ。
ヨーグルトだけは自分で買ってといわれて。
みどりさんにも当日取材したポイントも加えてレシピを渡しました。
その日は撮影終了も早めで、
自宅にもどってから見たとおり、聞いたとおりにつくりました。
簡単です。あとは重石をして1時間半以上待てばよし。
そして、少し薄めに仕上がりましたがちゃんとでき上がりました。
自分でつくったパニール。ワインにもぴったりでした。
そして次の撮影のとき、「おいしくできたよ」とみどりさんも。
以来、彼女はたびたびパニールをつくるようになっています。
コクがあるパニール。
別にインド料理にするわけではなくても、つくっているようです。
見るとつくるでは大違い。
こうしてときに特訓を受け、撮影終了時には
“““インド料理 のとりこ””” になっていました。
投稿者 webmaster : 09:55
2011年09月02日
人気の材料図鑑がさらにパワーアップ!『プロのための 洋菓子材料図鑑 vol.3』 編集担当者より
『プロのための 洋菓子材料図鑑 vol.3』
柴田書店MOOK
発行年月:2011年9月3日
判型:A4変 頁数:284頁
「プロのための洋菓子材料図鑑」は
大変ご好評をいただいているムックシリーズです。
製菓材料の商品改定やトレンドの変遷にともない、
このたび3年ぶりに新版として第3号を刊行することとなりました。
編集部も交代し、いちから図鑑部分もすべて撮影、編集の見直しをしています。
お菓子屋さんにとって、製菓材料も器具もなくてはならないものですが、
意外に新しい商品の情報は現場まで届いていないのが実情でもあります。
メーカーの枠にとらわれず、オールジャンルを網羅するカタログとして
菓子づくりの現場で活用していただきたいというのが、
洋菓子材料図鑑の基本コンセプトです。
ところで、製菓材料はどのような工場でつくっているか、ご存知でしょうか?
たとえばチョコレートの原料はカカオですが、
カカオがどんな香りがするものかを知る人は、実は少ないのでは?
チョコレート工場に入荷するカカオ豆は
発酵した状態で、まるでチーズや味噌のような、
発酵食品独特の香りを放っています。
それが、さまざまな工程を経て、
あの甘くすばらしい香りのチョコレートになる。
「一度見ただけでは、たぶん全部を理解するのは難しいですね。
工場は本当に奥が深いから」と、
見学に同行してくれたショコラティエ ラ・ピエール・ブランシュの白岩さん。
チョコレートづくりを続けるうちに、カカオ豆から
チョコレートをつくる工程そのものを知りたいと強く思うようになったそうです。
ほかにも最新タイプの菓子用米粉の産地や、大阪市内にある黒糖製糖工場、
卵のオートマティックな工場、酒類や栗製品など、製菓材料の源流をめぐる旅に、
パティシエの皆さんと行きました。
ある日は九州、次の日は北関東、翌日はどこへという過密スケジュールでしたが、
現場に行けばメーカーの皆さんの情熱がひしひしと伝わってくる毎日。
パティシエの皆さんも、力を入れて、技術を披露してくださってます。
材料をつくる人と菓子をつくる人、
それぞれの愛のこもったコラボ企画「パティシエと行く! 製菓材料の工場見学」を
ぜひお楽しみください。
また、今回の巻頭企画となる技術講座では「焼き菓子」をテーマに、
パウンドケーキ、マドレーヌとフィナンシェ、マフィンとクッキー、タルト、
バウムクーヘンの技術を公開しています。
製菓材料の基本である小麦粉、砂糖、卵、バターの4大素材は共通でも、
生地づくりや焼成方法によって違う菓子ができあがる。
焼き菓子の不思議を改めて感じます。
菓子づくりは本来科学的なものです。
生地を撹拌する回転数や仕込みの温度、焼成する温度や熱伝導など、
科学的な作用をわかっていないと調整ができません。
でも、あるパティシエさんは理論的に説明してくれた後で、
最後に言いました。「お菓子に科学は必要だけど、
そうすれば”おいしくなる”っていうことが大事ですよ」。
おいしい菓子をつくりたい、その情熱がずっと、
名パティシエたちの仕事を支えています。
パティシエの皆さん、メーカーの皆さんとつくった新しい洋菓子材料図鑑を、
どうぞ菓子づくりの現場でご活用ください。
投稿者 webmaster : 09:53
2011年09月01日
ワインの世界がますます楽しくなる♪ 『はてな?のワイン』 編集担当者より
『はてな?のワイン』
著者:山本 博
発行年月:2011年9月2日
判型:四六変 頁数:304頁
著者の山本博氏は、
ワインの世界では知る人ぞ知る重鎮です。
先生は今年80歳。
いまも弁護士という忙しい仕事を現役でこなしつつ、
バリバリと執筆活動をしています。
もちろん執筆のために、極寒の中ワインの産地を訪ねたり、
ワインを飲んだりと精力的。
実は、先生はワイン本の著者として有名なだけでなく、
ミステリーの翻訳家でもあるんですよ。
山梨県でのワイナリーツアーにて。
山本氏は各ワイナリーが
どのように工夫して
ブドウ栽培を行なっているかを熟知、
参加者にわかりやすく説明している。
先生の言葉で印象に残ったものをひとつ。
「同じWが頭につく、ワイン(Wine)と
女性(Woman)は、点をつけるものではないし、
つけられるものではありません。」
――低い評価となってしまった女性がかわいそうだし、
ワインもまたしかり、というわけ。
同じワインが状況によって異なることもあれば、
人の味覚も同一ではないはず。
画一的な採点は2つのWに対する冒涜なのだとのこと。
どんなワインにも(女性にも!)個性や良さを見いだす先生の言葉には、
とにかくワインへの愛情があふれています。
この本をつくっている間、
校正(原稿の誤りなどをチェックすること)をしながら
ワインが飲みたくなることがほとんど。
あなたもこの本を読んだら、きっとワインを飲みたくなるはず!
さあ、あなたも今夜はワインで乾杯しませんか!
投稿者 webmaster : 09:49