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2011年10月26日
料理本のソムリエ [ vol.31]
【 vol.31】
「西洋料理通」を読む
実は私、先月末ついに取締役に別室へ呼びだされてしまいました。書類を片手に深刻な面持ちです。リストラ? リストラなのか? 変なブログが原因か?
ところが開口一番「産業医の先生から、内視鏡検査を受けたほうがいいという連絡があった」。えええええっ! またなの? また飲めと? …と思ったら、検査済みという連絡が先方に通っていなかったようでして。だいいち検査結果の正式な通知はもうもらっているんですけどね、軽い胃炎だったせいだか知りませんが「1年間経過観察のうえ再検査」なんですよ。また来年にはアレが控えているかと思うとストレスで胃に穴が開きそうなんですけど…。
ということで胃カメラの話は思い出すだけでも胃に悪そうなので、これでもうおしまい。トンカツの話の続きです。
そもそもトンカツの前身である「カツレツ」のルーツをたどるのが大変でありまして、小菅和子氏が日本で最初のカツレツレシピとして紹介している文献からして大問題。『西洋料理通』の「ホールクコツトレツ」がソレなんですが、原文を見てびっくり。
まずこの本についてですが、猫々道人こと仮名垣魯文先生の訳であります。教科書にだって出てくる明治の戯作者で、猫グッズマニアという意外な一面もある御仁。出版は明治5(1872)年で、全部で百十等(「等」は、今でいう「節」や「項」ですね)の料理メモが紹介されています。訳とはいっても、横浜に居留していた某イギリス人が使用人にむけて書いた指示とその訳が原書でして、それを校訂したものとか。原書はカタカナ書きだったところをひらがなに改めたが、外来語はカタカナを残したと凡例にあります。かながき先生なだけにカナの扱いにはうるさいですな。
もっともこうした注意書きが必要なのは、今のような日本語かな表記のルールが確立する前だからでありまして、この本はまだ江戸の出版物の雰囲気を色濃く残しています。木版刷りで、ひらがなは現行のものではなく変体がな(蕎麦屋の看板に書かれているやつです。上の魯文の石碑もそうですね)も混じっていて、促音や拗音の表示はないし(早い話が今なら小さい“っ”や“ゅ”で書くところが小さくなってない)、句読点で区切られてない。現代人には難物です。おまけにカタカナの音写は発音に忠実なような不慣れなようなビミョーな感じでして、本来ついているべきところに半濁点や濁点がなかったりで、ちょっと見なんのことかよくわかりません。たとえばパセリはハリセリイだったりハルセリーだったりペルセリーだったりパンセリーだったり…。いっそ英語のままにしてほしかった。西洋料理の知識があればどうにかこうにか解読できるレベルでして、こんなの当時の人の何の役に立ったのか、とも思いますが、外国の料理の紹介というだけで売れたんですねえ。うらやましいねえ。
そこで句読点を補って活字化したものが『明治文化全集』風俗編に収められているのですが、昭和の初めの仕事なので漢字は旧字のままですし、ルビの振り方の不統一や誤植など結構ケアレスミスが見つかります。誰だい、校訂したのはと思ったら、若き日の高橋邦太郎氏でした…。料理通として有名なフランス語の翻訳家で、小社からも『パリのカフェテラスから』を出版されています。英語なので手を抜いたのか? もっとも編集者の校正ミスの可能性も…(くわばらくわばら)。ここではそこも修正しつつ紹介しましょう。ブログではルビがふれないので、随時カッコで補います。
pork cutletのことらしき「ホールクコツトレツ」は、第六十一等にのっておりまして、文章は材料の列挙と「右製方(しかた)」の二つで構成されています。材料は「豚の腋(あばら)部の肉冷残(にあまり)の物/ボートル一斤の十六分目/葱二本/小麦粉ジトルトスプウン匙に一杯/三十八等の汁五合五勺/塩胡椒加減/酸(す)食匙に一杯/芥子を少々かき酸と交らす」。作り方は「豚の腋部の肉五分斬、脂肉(あぶらみ)を去り、葱を刻み、ボートルを鍋中に投下(いれ)て、豚の五分切及び刻み葱を投混(いれまぜ)て、薄鳶色に変ずるを目度とす。揚たる後に外の品々を投下(いれ)て、十ミニュートの間、緩々(ゆるゆる)煮べし」
ね、お経みたいで頭が痛くなるでしょ。ボートルはバターのことで、1斤を600gとするなら16分の1は37.5g、ジトルトスプウン匙はほかのところではシトルトスプウンとして出てくるのですが、なんのことやら。柑橘用のシトラススプーン(sitrus spoon)のことでしょうか、あるいはバースプーンを当時はスティアドスプーン(stirred-spoon)とでも呼んだのでしょうか…。ネギはポロネギではなく、恐らくタマネギの代用品ですね。別のレシピではクローヴを刺したり、オニオンスープのところでもネギを使ったりしていますので。冷残の肉というのはいったん煮て冷ましたもののようです(保存のためでしょうか…)。まあ早い話、豚肉をタマネギとともに多めのバターでソテーして、引き揚げた後、焼き汁を煮溶かしてソースに仕上げる料理のように読めます。
なお約1リットルも加える「三十八等の汁」ですが、原文にあたりますと「クレビーフヲル。ロースト。ミート」でした。変換ミスじゃないですよ。なんでこんなところに句点が入っちゃったのか…。これは恐らくgravy for roast meatでしょう。「やきたる肉に用いる露物」と説明されていますし(グレービーをつゆ物って…)。材料は以下の通りです。「第二等の白汁種(しろにだし)を二合/ハルセリー二撮(つま)み細(こまか)に刻み/ボートル胡桃の実の大きさ/肉豆蒄(にくづく)の末(こな)/丹胡椒いづれも加減」。そんでもって製法は「パンセリー並にボートルを第二等の黒汁の中に投入(いれ)、緩火にて煮る事半時、雲母(きら)を去り善く陶(こ)す。丹胡椒、肉豆蒄を加減の上散投(ちらしこむ)べし」。
丹胡椒には「あかこしょう」とルビがふってあったので、てっきりレッドパッパーかな、と思ったのですが、当時の辞書をみたらカイエンヌペッパーの日本語訳のようです。雲母というのは表面に張った脂やあくの膜のことですかねえ。このレシピの中に今度は「第二等の汁」が出てきますが、いったい白いんだか黒いんだか…。その材料と作り方の詳細はえらくスペースを割くのでもうやめておきましょう。これまたわかりづらいレシピなのですが、牛スネほか鳥獣類の肉でとったブイヨンらしきもの。もっともバターと香辛料がたっぷり入っています。煮出す水の量は少なくて煮込み時間が意外と短めでした。燃料代が高かったからですかねえ。
率直に言って、これって名前がコットレツというだけでまったく違う料理ですよねえ。衣すらついていないし。事実、小菅先生は「いまでいうポークソテー」と説明しています。だったら初めから無視しなさいな。ソテーといっておきながら、原文の変体がなをことごとく読み間違えて「…薄鳶色に変たるを目度とし揚げ、さる後に…」と紹介しておりまして、揚げ物料理っぽい印象を与えております。おかげでトンカツの来歴を扱う本はことごとくふり回されっぱなし。『とんかつの誕生』に至ってはどうしちゃったんだか終始「ホールコットレッツ」と紹介しているし…。fowl cutletでは鳥カツになっちゃいますよ?
この他人の空似の第六十一等よりもですね、私は第五十二等の「コツトンツ、コールドモツトン」が気になってしかたない。お経だからって、面倒臭がらずにレシピを読まなきゃだめですよ? 隣の第五十三等のほうはカレーのレシピとかで、大変有名なのに…。
材料は「綿羊の冷残肉を斬り/卵一個/パンの散肉(ちらし)及び三十七等の鳶色の肉汁(にだし)/丹茄子(あかなす)少々」。作り方は「綿羊の肉を厚く五分程に切、卵と共に攪転(かきまわ)し、中へ浸し忽(たちま)ち引揚、パンの散肉を投下て、その後、火にて炙りし時に滴りし獣の膏(あぶら)を鍋に投(いれ)、厚き斬肉を其中に入れて焙烙(いり)、但し鳶色になるを期とす。丹茄子肉汁の中に煮熟汁(にえじる)を灌(そそ)ぐべし」。
ね? こちらはちゃんと卵もパン粉もつけてまして、動物の油脂で加熱しています。焙烙は煎り焼きのニュアンスではありますが、ミラノ風カツレツを作るときの加熱法はこんな感じ。こちらこそが日本に初めてお目見えしたカツレツレシピではないでしょうか。コツトンツはコツトレツの誤植じゃないですか? それが証拠に、この料理のモツトン(mutton)の「ン」の字は逆に「レ」によく似ていて取り違えやすそう…。なお材料の中の三十七等の煮汁はブラウン・グレービーのことでして、このレシピではいまいち使い方がわかりませんが、トマトを煮て加えるようです。
日本の「カツレツ」は英語圏から来た言葉のカットレットに由来するようですが、もとはフランス語のコートレット、つまり骨つきロース肉から来ています。西洋料理通に出てくる「コツトレツ」は元々の骨つきロース肉のほうの意味なんですね。その証拠にほら、「ホールクコツトレツ」も「コツトンツ、コールドモツトン」も料理名の脇に小さく「豚のきり肉の義」「綿羊の冷肉を斬の義」と説明されておりますでしょう? 本来はただ部位を表すだけの言葉なのに、典型的な調理法がパン粉揚げだったものですから、英語ではそれとイコールにとらえられるようになったというわけです。
さらに意味が広がって、骨つきロースでなくとも小判状にしてパン粉をつけて揚げた肉料理は英語では何でもカットレット、イタリア語ではコトレッタと呼ばれるようになりました。吉川敏明シェフの『新版イタリア料理教本』には、豚肉以外にもポレンタやモルタデッラに衣をつけて揚げるコトレッタが出てきます(二冊組だったのが、新版では一冊にまとまって引きやすくなりましたよー、とPR)。とくに骨つきロース肉であることを示す場合は、コストレッタとするのだとか(元はラテン語で、フランスでも古語はcosteletteなのです)。
またミラノ風カツレツの項の説明によると、ミラノのコトレッタとウィーンのウィンナーシュニッツェルはどちらがオリジナルなのか本家争いをしているそうです。なるほど『月刊専門料理』1999年7月号「イタリア情報」にその一端が載っておりました。18世紀初めからイタリア建国までの間、ミラノがオーストリア帝国の統治下にある間にウィーンからミラノへ伝わったというのがオーストリア側の主張。それに対してイタリア側は、ウィンナーシュニッツェルに使うのは仔牛のモモ肉で、パン粉をつけてから卵に浸し、ラードで揚げるなど、ミラノ風カツレツとの違いを強調。また1134年のメニューに出てくる「lombolos cum panitio」はパン粉をまぶした肩ロースという意味であること、オーストリアのラデツキー元帥が副官アテムス伯爵にあてた手紙でコストレッタについて説明しているということから、当時ウィーンにはカツレツがなかったというのがその主張です。いやはや、アジアの端っこでカツレツの起源を調べるのは想像以上に大変です。
ここで注目してほしいのは、イタリアでもオーストリアでも仔牛肉から作る料理であることです。フランス語ではレットは小さいという意味で、同じ骨つきロースでも牛だの豚だのの部位を示す場合はただのコートです。カツレツは、それよりはちょっと小さいサイズの肉が取れる家畜、つまり、仔牛や仔羊から作るのが本来の姿でしょう(もっともイタリア語では牛のロースはコスタータでも、豚のロースはコストレッタの組に入るようですが)。
ところが『西洋料理通』にはもうひとつ、第三十等に「サルモン。コツトレツ」が出てまいりまして、こちらは鮭をバターを塗った紙で包んで焙り焼いております。英語では鮭の切り身もまたcutletと呼ばれるようでして、早い話それっぽい形の切り身なら何でもありなんですねえ。おおざっぱといえば、おおざっぱ。ならば何の肉を使ってもパン粉揚げならカットレットとする心情もわかります。日本では仔牛肉にはなじみがありませんから、より手軽な白身肉ということで、鶏や豚から作るようになったのでしょう。最初はチキンのカツレツだのポークのカツレツだのといちいち断っていたのが、はしょって豚(とん)+カツになっちゃった。一方関西のビフカツは、仔牛の代わりに成牛に走ったというわけですね。
豚と牛、どっちも仔牛の代用なことには変わらないのですが、ビフカツのほうが本式という文章も見かけます。やれやれ…。白身の仔牛肉(ヴィール)と赤身の牛肉(ビーフ)ではまったく別の素材でありまして、シンコをコハダ、いやコノシロと一緒にするくらいに無神経。そういえば23日、政府がBSE問題で2001年以降禁止していたフランスからの牛肉輸入の再開を検討し始めたというニュースが入りました。業界が嘱望しているのはフランス産仔牛肉なんだから、アメリカ並みに生後20カ月以下に限ってとっとと再開すればよかったのに、今頃何を言ってんだかなあ、という感じでありますな。
投稿者 webmaster : 2011年10月26日 10:53