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2011年11月10日
料理本のソムリエ [ vol.32]
【 vol.32】
キャベツとソースはなぜデフォなの?
いやあ、前回は長かったですねえ。お経みたいなレシピが続いてまあ退屈なこと。やれやれ、ようやくトンカツの話は終わりだと思ったでしょ? ところがどっこい、終わったのは胃カメラの話だけで、トンカツ談義はまだ続きますよ。なにせ肉の話でおしまいになってたじゃないですか。これからいよいよ揚げる段階に入るわけですからね。くどくて、量が多くて、胸やけするって? 自覚はありますが揚げものが相手なだけに仕方ありませんなあ、と開き直りたいところですが、トンカツ屋さんに怒られちゃいますね。
これまでの洋食研究家の先生たちはどうもイタリア料理には暗いようでしたが、最近はだいぶ世間に知られるようになりました。洋食の歴史なんぞについてはネット上のマニアのHPのほうが詳しいくらいで、ウィンナーシュニッツェルやコトレッタ・アラ・ミラネーゼにも触れられています。ただ皆さん、残念ながら皿の上の料理でばかり考えるものですから、材料やら調理技術などの源泉をたどるまでには至っていないようですね。
まず第一に日本のトンカツで独特なのはその厚さです。仔牛の骨つきロースで作るカツレツはいきおい骨1本ぶんの厚さになりますが、下ごしらえの工程として肉叩きでぺちんぺちん叩いて平たくします。火の通りが早くて繊維が縮みやすい仔牛肉は、叩いてほぐしてやるとよいそうです。とくにミラノ風の場合は、下粉の小麦粉は打たず、叩きながら衣をなじませるために大事な工程です。確かに明治時代の料理本のカツレツのレシピを見ていても、おおむね肉叩きがちゃんとでてきます(『西洋料理通』には書かれていませんが、まあ、あれはちょっと特殊なので)。しかし現代のトンカツのレシピでは筋切りせよとはあっても、肉叩きは必須とはなってないですね。肉を扱う歴史が浅い日本人はこの肉叩きの効用がわかっていないとは、実家が肉屋さんでもある吉川シェフの弁であります。
そういえばむかーし肉屋さんには中肉とか上肉っていう分類がありましたが、今では聞かなくなりましたよねえ。なんだか経済格差っぽい(笑)。肉を使う歴史の浅い日本では、バラやヒレはともかく、部位名で表現したところで普通の主婦にはなじみがなくて、使い分けられなかったからなのでしょう。
そもそも日本では、肉屋さんが切って売ってくれますけど、これって世界的にみたら異色じゃないですか? 塊のままのほうが絶対傷みにくいし、肉汁も逃げないのに。お刺身もそうですが、今ではトレイにきれいに並んでいるのが当たり前。これは肉を自分で触りたくないというお客さんの要望から生まれたサービスなんですかねえ。家庭用冷蔵庫の普及以前から行なわれていたのでしょうか。
最近でこそスーパーでブロックの肉も売ってますが、生姜焼きやトンカツ、カレー用を除けば、薄切りのほうが普通というのも変な話。これは「片」に切った肉を調理する機会の多い、中国料理の影響でしょうか? 単に肉といえば昔は鍋料理が当り前だったからでしょうか?それとも肉がまだご馳走だった時代、紙のように薄―く薄―く切って、たくさんあるように見せたかったからなのでしょうか?
自宅の隣家はかつては肉屋さんでして、けっして肉に縁遠かったわけではないのですが、ステーキなんて夢のまた夢という(ていうか、いまいちどんなものかぴんとこなかった)庶民にとっては、ぶ厚い肉にかぶりつく料理といえばトンカツだったような気がします。それでもおかずのメインはコロッケで(まれにメンチ)、トンカツは家族5人全体で2枚くらいしか買いませんでしたねえ。その代わり、ポテトフライはひとり2個か3個が割り当て。揚げたてをハトロン紙っぽい袋に入れて新聞紙でくるんでもらうのを待っている間に、お駄賃としてポテトフライを楊枝に刺したのを渡されるとうれしかったものです。
ポテトフライを楊枝に刺せるかって? 棒状のフレンチポテトと勘違いしてませんか? 写真のような4つ切りにして衣をつけて揚げたものなんですけど、ご存じないかなあ。
こんなふうに肉屋さんが揚げものを売るというのは、ラードやヘットを有効活用しようという発想からなのでしょうが、これまたいつ頃からそうなったのでしょう? コロッケと同列に語られる日本のトンカツは、もはや豚肉フライともいうべき別料理。厚くても芯まで火が通っていて、なおかつ柔らかさと肉汁を失わないようにするのはなかなか高度な技でして、フランス料理やイタリア料理のシェフでもトンカツの揚げ方に興味深々な人は多いようです。揚げる温度を低めから始めて時間をかけるのがコツなのでしょうか…。
また肉の厚さのほかに、日本のトンカツの特徴には衣のかりかり感があるようにも思います(もちろん、薄い衣をめざしている蓬莱屋さんのような例もありますが)。中食市場の最新のトンカツ事情にも詳しい『デリそうざい2号』によると、パン粉の衣がつんつん飛び出ていることを「剣が立つ」と表現するとか。確かに油でべしゃっとした感じがしなくておいしそう。日本独特の表現ですね。
これは推測なのですが、日本のパン粉は海外のパン粉とタイプが違うのは、用途がトンカツのせいではないでしょうか。粗いパン粉や生パン粉を使うことで油による長時間の高温加熱が可能となったのでは…。もっとも元になるパンの性質にもよりますし、コロッケはもう火が入っているからそんなに長時間加熱は必要ないし…。
これは思いつきの仮説でして、小麦粉の専門家の意見をぜひ聞いてみたいと思ったら、『とんかつの誕生』の岡田哲先生は日清製粉の出身でした。この本にはパン粉についても細かい説明がありまして、この点は出色です。ヨーロッパのパン粉は粟粒ほど細かい粒子で、揚げ油が汚れやすい(もっとも『新版 イタリア料理教本』によると、ミラノ風は生パン粉を使うようですが)。炒め焼きやバター焼き用だそうです。
一方アメリカのパン粉はブレッダーと呼ばれ、ソーダークラッカー状のものを、細かく粉砕して作るのだそうで、フライドチキンやフィッシュスティック向けなんですね。それに対して、日本のパン粉は不揃いで大きく付着しやすいのだとか。岡田先生は衣がさくさくした歯ざわりで、適度な厚みになると指摘していますが、加熱時間の調整にも貢献していないのかなあ。
とまれトンカツの歴史について研究するには、パン粉の研究も欠かせません。あとは揚げ油に揚げ鍋、加熱機器や燃料の歴史もからんできますが(となると明治以降の天ぷらの歴史にも目配りする必要がありそうですね)、さらに付け加えればキャベツのせん切りも。コロッケやフライもそうですが、どうしてコールスローもどきのキャベツのせん切りが必ずついてくるのでしょう? ドレッシングのかかっていない生キャベツのせん切りは日本独特の付け合せ。森まゆみ氏の『明治大正を食べ歩く』によれば「煉瓦亭」の発明だそうで、日露戦争でスタッフが召集され、手が足りなくなったのがきっかけだとか。ちなみに料理本のソムリエっぽいコメントをはさみますと、この新書はシリーズものでして、『「懐かしの昭和」を食べ歩く』がお勧めです。ご本人が食べた思い出のある店のルポは、ひと味違う臨場感がありますよね。
トンカツ屋のキッチンでアルバイトをしていたかつての上司の話によると、ウソかホントか、トンカツの利益率というのはキャベツで決まるのだそうです。豚もパン粉も卵も小麦粉も、そうは大きく価格変動しないのですが(最近の小麦粉は制度が変わったのでそうでもありませんが)、唯一キャベツは季節や気候に左右されやすいのがその理由。そんなに大変なら添えなきゃいいのにと思うのですが(どちらかといえば生で食べるよりも、煮たり炒めたりするのに向いている野菜ですよねえ)、お客さんが納得しないでしょうね。
西洋野菜の導入の歴史については、GHQ時代のような戦後の話はvol17の大木健二さんのような現場の人の声を聞きたいところですが、明治大正の事情については青葉高先生の『日本の野菜』が頼りになります。野菜が登場する歴史文献を紹介しつつ、育種の立場からの説明が充実。文理両道の達人の読み応えのある本でして、昔は2冊組でしたが1冊にまとめられて使いやすくなりました(おお、前にどっかで聞いたことのあるようなセールストーク)。もっともそんな本書でも、キャベツの来歴については安政年間に栽培が始まり、横浜や函館でわずかに定着したこと、明治7年に勧業寮が山形など5県で試作させたこと、これとは別に北海道開拓使が栽培に成功した、とある程度。ところが明治26年の『蔬菜栽培法』では近年東京近在にて多く培養し、普通の蔬菜店にも販売するものあり、とあるそうです。20年も経たない間にいったい何があったのか。まだカツレツに添えるようになる前のはずなのに、いったい何に使われたのか。漬物ですかね? やれやれ、素材も庶民的なものとなると、歴史をたどるのはなかなかしんどいです。
さらにキャベツといえばソースですよね。夏に書籍部のツイッターでソースをトンカツにかけるかキャベツにかけるかで、盛り上がってましたねー。煉瓦亭がキャベツを添えることを発明する前は、カツレツにソースはつきものだったのでしょうか?
おっと、ソースといってもタルタルソースじゃないですよ。この仕事に就くまでソースっていうのはウスターソースのことと思っていました。ついでに上肉、中肉じゃあありませんが、中濃があるのだから少濃や特濃という呼び方もあるのかと思ってました(笑)。実際は通常のウスターソースととんかつソースの間の濃さなので、中濃なのだそうです。おまけに中濃はもともとは東日本ローカルな商品なのだとか。かつて東京の下町では中濃ソースもジョウゴで瓶に移して量り売りしておりましたが、どろり濃厚ソースが一般的な関西ではどうだったのでしょう?
それにしてもとんかつ専門というカテゴリーがあるとは、イギリス人もびっくり。生キャベツの表面はすべりやすくてソースがからみづらいので、とろみをつける方向へと発達したのでしょうか。リエするというよりは、もはやこれはタレづくりの発想ですよね。お好み焼きには刷毛でぬったりしますしね。
野菜や果物の甘みの溶け込んだこの焦げ茶色のソースは日本独特なものだそうです。気になって東京都ソース工業協同組合の業界史『道程』を閲覧したところ、原料に果物を使うようになったのは戦後の食料難の時代からで、果物は統制外だったからだとか。濃厚タイプのソースの普及も昭和30年代以降だそうで、意外と新しいのにびっくり。日本におけるウスターソースの導入と変遷、メーカーの興亡と普及の過程、地方差についてはさらに掘り下げる必要がありそうですね。これがはっきりしなくては、たこ焼きの誕生もお好み焼きの誕生もソース焼きそばの誕生もソースせんべいの誕生もわかりませんからね。
ほらこの通り、トンカツを糸口に知りたいことはいくらでも出てきます。トンカツという「洋食」はどこもかしこも日本化されてまして、その受容と変化を通して、日本の食文化の特徴が垣間見えてきます。本の1章をあてたくらいじゃ、ブログを3回に分けたくらいじゃ、こりゃとても足りそうにありませんよ。
投稿者 webmaster : 2011年11月10日 11:00