« 料理本のソムリエ [ vol.34] | TOPページへ | 料理本のソムリエ [ vol.35] »

2011年12月09日

『魯山人と星岡茶寮の料理』

06132.jpg『魯山人と星岡茶寮の料理』
著者:柴田書店編
発行年月:2011年12月14日
判型:B5変 頁数:152頁

 入社して2年目の秋、京都出張は数えるほどしか経験していなかった頃のこと。取材先の料理人さんに教えてもらった知る人ぞ知る板前割烹の実力店へ、その日のうちに飛び込みで食事に参りました。夕方に電話を入れてすぐに押しかけるという、いま思えばずいぶん失礼なお客ですが、やる気だけはあるところを買ってもらえたのか、ご主人と意気投合。コノワタを肴に夜中まで話らいました。そのときに見せていただいたのが、ご主人がよそから借りていた星岡茶寮の機関誌『星岡』の復刻版。いわく、「柴田書店はもっとこういう本を作らなければいけないよ」。

 泊まっていきなさいとおっしゃってくれているのを強引に辞して、深夜の京都をあてもなく歩きました。碁盤の目の京都の街は三方を山に囲まれているので、慣れない酔っ払いにはどの角を曲がっても同じように見えて、どっちに向かって歩いているかわからない。いつかご主人をうならせる本を作ってやろうと考えながら、夜の京都をぐるぐるぐるぐる……。

 一晩のコノワタの恩義に報いるため、『星岡』の復刻本を送ろうと古本を探したのですが、結局現物を手に入れるのに6年近くかかりました。苦労して探し出してくれた古書店主いわく、「秦秀雄も罪な人だよねえ。自分が関わった雑誌しかまとめなかったのだから」。なぜか22号から80号までと全巻の半数しか収録しておらず、発行部数もわずかにとどまった復刻雑誌。どうも魯山人の周囲にはいろいろと複雑な事情がありそうだと薄々感づきました。

06132_2.jpg 実は陶磁史を研究していたので学生時代に魯山人の文章は読んだことがあったのですが、独力で学んだ人ならではの地に足がついた芸術論や料理論を期待したら、うわすべりのご託宣でがっかり。白崎秀雄の小説はひどい内容だと噂にきいていたのでまったく開いたことがないままでした。ところが雑誌でだしの特集を組んだとき、戦前はどんな方法だったのだろうと、魯山人著作集を開いてみたら文中にテレビが出てくるのにびっくり。どうにもこうにも合点がいかない。いつかは魯山人と対決しなけりゃならんと腹を決め、ついに器と盛り付け特集号の別冊 『日本料理の四季』で取り上げました。今から3年前の話です。

 どこをどう調べればいいかは昔とった杵柄で、ちょっとつつくだけでいくらでも新資料が出てきます。うれしかったのは、魯山人が書道展覧会で褒状をとった際の新聞記事がどうしても見つからず(いま思えばそんなものは世になかったのですが)、図書館で白崎の小説をもう一度確かめようとしたとき。同じシの棚に島崎藤村の短編小説集があって、「そういえば彼は星岡茶寮で結婚式を挙げたんだっけ…」となんとなくパラパラ開いたら、魯山人をモデルにした小説が目に飛び込んできたのです。また同じ週の天皇誕生日には神奈川近代文学館で、星岡茶寮の献立の実物にたどりつきました。資料タイトルは「今年竹出版記念会献立表・受領書」とあるだけで、実見して初めてそれとわかったものです。あの日の横浜はクリスマスイルミネーション一色で、思いがけないサンタの贈り物に浮かれました。平日は雑誌編集作業があるので仕方なく、土日祝日をすべて魯山人調査に投入した半年でありました。

06132_1.jpg

 そうした成果のまとめを掲載して、京都の夜に出された宿題をようやく提出したつもりでいたのですが、いつになっても魯山人に関する新知識が世に広まる様子がありません。『料理王国』が2冊も文庫化されたり、「現存する資料のほぼすべてに目を通し」た立派なご本が文庫化されたりしているのに。『日本料理の四季』には私が編集した号以外にも、吉田耕三先生の連載記事や、当時の編集部が総力を上げて作った魯山人特集号があるのですが、一向に参考図書に入る気配がありません。

 そこでせっかくなので2つの別冊を単行本にまとめました。ご購入ずみの方には申し訳ないので、その後に発見した戦前の婦人雑誌中の魯山人情報を大幅追加いたしました。これでようやく、魯山人に関する資料の末席に連ねてもらえるのではないかと思います。


06132_3.jpg

柴田書店Topページへ

投稿者 webmaster : 2011年12月09日 10:09