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2012年03月01日
料理本のソムリエ [vol.39]
【 vol.39 】
ポン酢とおでんとウィキペディアの罠
3月の声を聞こうとしているのに雪は降るわ、梅の開花は遅れるわ。エアコン新調の金を惜しむ私ですが、コンロ暖房にそうも頼っていられないのでコタツを買いましたぞ。
売り場に行って驚いたことには、もはや電気カーペットが季節家電の主流で、コタツは夏場の扇風機以上に少数派。端っこに申し訳程度に積み上げられていました。そういえば掘りゴタツってのは、居酒屋のテーブルの下のことだと思っている人がほとんどだしねえ(あれは暖房じゃないからコタツじゃなくて「掘り込み式」というんですよ)。昔は裏返って腹っていうかヒーター部分をこっちに向けた電気コタツが、売り場にずらりと並んでいたもんですが。当時の製品はお腹がぽっこりしていましたが、今は見事にスリムですね。
何年ぶりかにコタツに入りますと、もう布団から指一本出したくなくなりますよ(誰か代わりにトイレ行ってきてー)。コタツの外は5℃をきってるし。さすが二度と出られぬ東洋のクノッソス。日本のPCメーカーはタッチパッドの製品に対抗するために、コタツをおまけにつければいいのに(キーはコタツの中でブラインドタッチで叩いてね)。もちろんマウスはコードレスじゃない昔ながらのやつで。いっそテレビのリモコンも有線にしてほしいくらい。ミカンがなくなったら持ってきて皮をむいて口に放り込んでくれる二足歩行ロボットを開発してくれれば、なおよし。おお偉大なる国産家電製品たちよ。
ガラパゴス化っていうのはあちらの島の方々にとっても失礼な話で、ジパング化といってほしいですよね。コタツにあたって鍋で晩酌まで始めた日にゃ、現代のエルドラド。ということで今回は、鍋は鍋でも鍋物の本の話です。
小社の鍋料理の書籍には『ひとり鍋ふたり鍋』と『鍋料理』という両極端なものがありまして、かたや和中韓の若手料理人が提案する一人暮らしの家庭用レシピ、かたや鍋専門店のみならず、居酒屋やエスニック料理店にも取材した101種類の業務用レシピ。まあ鍋料理というのは単純ですから、中途半端なコンセプトではわざわざ本を買おうという人はそういないでしょうから。
さらに古い本に『月刊専門料理』の鍋関係の記事をまとめた『料理屋の鍋もの』ってのがありますが、これを語るにはつらい懺悔をせにゃなりません。会社の上司にはないしょだぞ。78ページに「…ポンスの作り方の記録はオランダ通事(通訳)の楢林重兵衛の談話をまとめた『楢林雑話』(一七五八年)に登場するが、ここでは柑橘類の使用についてはまったく触れられていない」とありますがこれは間違いです。そんでもって私が書きました。
言い訳しますとこの文献、小学館の『日本国語大辞典』のポンスの項を見て知ったんです。もちろん原本もチェックしなきゃならんのですが、忙しくてそのひまがない。意を決して閉館ぎりぎりに図書館に駆け込んで、楢林雑話が収録されている『海表叢書』(『広辞苑』の新村出が活字化したものです)を悲しげな音楽が流れる中で開きました。あった、あったよ、よかったーと閉じたのですが、実は次のページに日本国語大辞典に引用されていない続きの文「肉桂、木酢等を入」があったんですよ。木酢ってちょっとピンときませんが、ちゃんと注がありまして「だいだい、梅、柚、枳殻(からたち)などの類、水をとり貯」。果実の絞り汁のことですね。見落としてました。私が再三「STOP ザ 孫引き」キャンペーンを張っているのもこうした自分自身の苦い経験があるからでして。
ポン酢の語源はオランダからきた飲み物の「ポンス」に由来するというのがこれまでの説。『講談社オランダ語辞典』によりますとオランダ語のポンスっていうのは、英語のパンチからきたもので、『中陵漫録』にも記述があるそうです。これによると蒸留酒のアラックにダイダイの汁、砂糖を加えて一煮立ちさせ、水を加えて飲む夏の暑気払いの飲み物だとか。ですが、その名が転じて調味料にも使われるようになった経緯は相変わらずわかりません(負けおしみ)。江戸時代の料理書には「柚じょうゆ」は出てきても、ポンスが見当たらないのです。他人の空似かもしれない飲み物起源説は一考する必要があると言いたかったのですが、ちょっと勇み足でした。私の文の初出は『専門料理』1999年1月号でして、黒歴史として葬り去られるはずだったのが、こともあろうに私の知らない間に2001年に単行本に再録されていたのですよ。ひとこと言ってよー。
さあ、大変。間違った知識が世に広がってしまったらどうしよう。どうも最近はWikipediaなるWeb上の百科事典もあるらしいぞ…とその時初めてアクセスしてみたところ、ポン酢に醤油を入れるか入れないかで編集合戦してました(呆然)。楢林雑話のナの字もありません。ののしりあったはてにしばらく編集がブロックされていたのですが、解除されたと思ったら今度は語源はポルトガル語という新説が登場しました(さらに呆然)。ポルトガル語のポモは果実の意味で柑橘とイコールじゃないし、それならスペイン語だって充分有力候補になりえます。あるいは同じラテン系のフランス語やイタリア語からかもしれませんよ。
Wikiのはらむ問題はここにありまして、出典や論の根拠が明示されていれば検証しようもあるのですが(もっとも世に出回っている料理本の記述には誤りも多いので、間違ってることはしょっちゅうありますが)、「コンピュータや医学用語の解説はできないけど、普段食べているもののことなら俺でもわかる」と料理をナメてかかっている人たちが、余計な親切心からその場の思いつきの新説を書き足しちゃう。つぎはぎだらけなので、一部に正しい説明が残っていることが災いして、全部が正しいと誤解されちゃうので始末に悪い。Wiki側も出典を明示するよう指導しているみたいだし、おかしな投稿はチェックしているようですが、なにぶんボランティアなので監視の目をすり抜けた例が山とあります。おかげで料理関係の記事を見た日にゃ、目を覆ったり頭を抱えたり首をひねったりお腹がよじれたりと忙しくって仕方ない。料理店や食品会社のHPなどに、ばんばんデジタル孫引き(コピペ)されているけどいいのかしら。
わかっているなら直してやれって? でも、全部一から書き改めるならまだしも箸にも棒にもかからない過去の投稿を生かしつつ修正するのは大変だし、せっかく苦労して直しても誰かにまた書き足されてぶち壊しになっちゃうかもしれないんですよ? 思いつきで「ある」と書くのは簡単ですが、「そんなことはない」と証明するのはなかなか骨が折れます。まあ、そもそもWikiへの書き込みのお作法を知らないもので。すみません。
ここまで書いて試しにWikiの「おでん」の記事を、おそるおそる開いてみたのですが…。「関東におけるおでん人気は下火になっていたが、関東大震災の時、関西から救援に来た人たちの炊き出しで「関東煮」が振る舞われたことをきっかけとして、人気が回復した」「江戸時代の味を受け継ぐ店は震災によりほとんどが失われていたため、一時期、関西風の味付けをするおでんが東京を席捲した」。涙で顔が上げられません。10年経っても誰一人気づいてくれない(ていうか読まれてない?)ような間違いでくよくよするな、原資料なんか気にするなという力強いメッセージ。蛮勇という名の勇気をもらいました。
「関東煮やなくて広東煮や! けっして関東モンのまねをしたんやない(エセ関西弁)」っていう威勢のいい意見もいまだに見かけますが、その原型となる広東の煮込み料理っていったいなんでしょう? 広東料理に練り物は見あたらないし、コンニャクは四川や雲南のローカル食材だし…。初めて見た謎の中国料理(チャプスイか?)からヒントを得て今のおでんにたどり着いたとしたら、そりゃあかなりの想像力です。
Wikiの関東だきの語源(またかい…)には「かんとうふ煮」説なんてものも挙げられてますが、これに関しては珍しく出典が明示されています。それに従って大阪の「た古梅」のHPへ飛ぶと「蛸や烏賊などを醤油で煮た食べ物を「かんとうふ煮」といい、江戸時代の書物に記述を見ることができます」とありました。とほほほほ…。
関東煮(「かんとふ煮」ですからね)は今でいう蛸の桜煮のことで、幕末に松山藩から長州藩へ派遣された使節の日記にも出てくる全国的な料理。煮込みのおでんとは違うものであると川上行藏先生が『湯吹きと風呂吹き』で考証しています。一方江戸時代にも「おでん」なる言葉は登場しているのですが、『浮世風呂』にお芋のお田、『浪花の風』に大阪ではコンニャクの田楽をおしなべておでんという、とありましてどちらも味噌田楽のことっぽい。今の煮込みおでんが普及したのは明治のことかもしれないと、川上先生は結論を保留しています。
がんもどきや練り物の入るおでんは明治の中ごろには確認できますから、幕末から明治維新の頃が転換期なのでしょうか。「おでん燗酒」というのは居酒屋の業態のひとつで、屋台のおでんは苦学生や資金のない人が自活する手段となっており、流行りはじめた洋食屋台なんぞよりもずっとありふれた存在でした。素人料理だったからこそ、具も味つけも何でもありで種類が広がったのかもしれませんね。
串に刺さった豆腐やコンニャクに練り味噌をぬった田楽は、いつの間にか串と味噌の呪縛から解き放たれて鍋ものにまで姿を変えたわけですが、進化の過程で日本各地でいろいろな姿が生み出されています。ガラパゴス諸島のフィンチのように。それを集めたおでん界のダーウィンが『とことんおでん紀行』の新井由己氏です。ただし全国を回ったのはビーグル号ではなくて、新聞配達用の原付バイク。新井氏は日本全国を旅しておでんを食べまくり、串に刺さっていたり、味噌をつけたりする古い形を残した地方のおでんや、独自に発達したおでん種を見出しました。コンビニがおでんを積極的に売るようになってからは、こうした地方差が一般にも知られるようになりましたが、当時としては画期的でした。
ちなみに沖縄にはおでんというよりキントンみたいな「田芋の田楽」がありますが、その一方で豚足の入ったご当地おでんがあります。台湾でも「黒輪」(オーレン)という名前で知られており、暖かい地方でも食べられているんですね。寒い韓国ならなおのことで、日本語そのままの「おでん」で通じてしまうのですが、つい先日、フジテレビの朝番組で韓国が起源かもしれないなんて、まったくもって不勉強なコメントをしてたそうです。でもWikiの一件を思うと笑えなくなっちゃったなあ。
どこが起源だなんて意地の張り合いはさておいて、それぞれの地方の個性をいろいろ楽しみたいよねえ。コンビニの商品開発の工夫をレポートする『セブン‐イレブンおでん部会』によると、同チェーンでは2006年からつゆの種類を地方によって6種類に分けているそうです。ためしに大阪出張のついでに食べてみたら、確かにつゆが淡くて淡口醤油ベースな感じ。最近つけてくれるようになった薬味の柚子コショウも、香りがよくって芥子とも違ったアクセントになっていてなかなかおいしい。サンクスはこのところ「チビ太のおでん」なんてテーマで新商品を毎年送り出しているし。おでんの多様な進化、恐るべし。
「さあて今度はコタツでおでんといこうかしら、極楽、極楽、よくぞ日本に生まれけり」と調子にのっていると、「イランにもコルシィーがあるぞよ」という天の声が。イランでもカスピ海沿岸の田舎には水田が広がって柿がなっていて、山に行けばスキーだってできるそうですが、まさかコタツまであろうとは。まあ、写真をごろうじろ。左はイラン最後の皇帝が使っていた冬の宮殿にあるコタツで、高級北欧家具と言われても信じてしまいそう。右は家庭の別荘(!)にある現役のコタツです。床に敷くのはペルシャ絨毯か? わが家の最新家具調コタツがびんぼくさく見えます。なんでもかんでも自分のところが起源で一番で、よそに同じものなどないと思ったら大間違い。井戸の中の蛙、コタツの中のなまけものでありました。
ならばと手当たり次第に寒そうな国名とコタツを組み合わせて検索してみると、民族衣装をまとった人たちのコタツムリ姿が…。アフガニスタンやウズベキスタンには日本そっくりのサンダリが。さらにスペインにはブラセーロという、クロスをかけたテーブルの下に入れる火鉢みたいなものがあるそうです。洋式ゴタツ! なにかと本場のものを取り入れるのに目がない日本のスペイン料理店なら見ることができるのでしょうか。どなたか情報をお待ちしております。
投稿者 webmaster : 2012年03月01日 10:25