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2012年04月19日

『専門料理2012年5月号』 編集後記より

131205.jpg『専門料理2012年5月号』
発行年月:2012年4月19日
判型:A4変 頁数:166頁


特集:豚肉 特別な豚肉、特別な料理

「国産も輸入も、まずは自分に合った豚肉選びが肝心」
「全国にいる情熱的な豚肉生産者の取り組みにも注目です!」


moon_1.jpg 今月号の特集は「豚肉」。
仏、伊、西、中……計16人のシェフに、30品を超える豚肉料理をご紹介いただきました!

sun_3.jpg 第1企画では7人のシェフが登場。とくに印象深かったのは、石井シェフ(ラ・ロシェル南青山。18ページ)の「これまでの固定観念を壊すような豚肉料理を作りたい」という言葉。豚肉って「家庭料理の食材」ってイメージがあるぶん、それをくつがえす料理を出した時にお客さんが受ける驚きや感動は、いっそう大きいって。

moon_1.jpg 逆に言えば、それだけ料理人の腕がはっきりと出る食材ってことでもあるよね。
でも、たしかに石井シェフの豚肉料理(写真1)、見た目もすごくきれいだよ。

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sun_1.jpg かたや、渡辺シェフ(パルテノペ。28ページ)はナポリの伝統料理2品を紹介。
とくに「豚皮のロール巻き?」は、とても古い家庭料理で、店のナポリ人スタッフでさえ、何十年ぶりに見たんだって(笑)。どこかなつかしい味わいが魅力です。

moon_1.jpg 第2企画では、輸入豚肉にスポットをあてました!チンタ・セネーゼ、マンガリッツァ、キントア、イベリコ、ノワール・ド・ビゴールをそれぞれ使っているシェフに、どこが気に入り、どうやって使っているのかを聞いたんだよね。

sun_1.jpg 十時シェフ(レディタン ザ・トトキ。35ページ)が使っているのが、チンタ・セネーゼ。イノシシに近く、濃厚で力強い味わいが魅力とのこと。

moon_3.jpg 川手シェフ(フロリレージュ。40ページ)は、フランスのキントア。肉質はもちろん、生産者がはっきりしていて、品質に信頼がおけるのも、使ってる理由の一つだそう。輸入豚は、肉質も風味も個性的なものが多いし、だからこそいろんなものを試して、自分のめざす料理に合った豚肉を見つけることが重要だよね。

sun_1.jpg 一方、ノーブランドの豚肉を多用していたのが、中国料理のシェフたち。いろいろとマニアックな料理もご紹介いただきました!

moon_1.jpg 和田シェフ(五指山。53ページ)が作ってくれたのが、豚の尾を使った冷前菜(写真2)と、骨付きバラ肉や豚足をスープ仕立てにした上海の伝統料理。

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sun_1.jpg しっぽに豚足、顔に皮に内臓に……1頭丸ごとを無駄なく活用できるのが豚肉の魅力だし、中国料理が得意とするところでもあるよね。


産地ルポに、基礎知識――。
熟成や加工肉についても詳しくレポート


moon_1.jpg 今回は、北海道は石狩の「望来豚」と帯広の「どろぶた」、そして沖縄の「今帰仁アグー」……3つの銘柄豚の産地も訪ねました!

sun.jpg 「どろぶた」ってまたすごい名前。

moon_1.jpg 使放牧で泥だらけになって遊ばせてる豚だから、どろぶたなんだって(写真3)。
名前のイメージとは違う上品な味でした。

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sun_1.jpg 「望来豚」は、飼料の原料の8割が地元・北海道産という豚。そして、昔ながらの沖縄の豚「島豚」の種の保存をめざして、情熱を持った生産者が手がけている豚が「今帰仁アグー」。

moon_1.jpg 絶滅の危機の豚を復活させたといえば、バスク地方のピエール・オテイザさん。日本にも、似た活動をしている生産者がいるとは、目からウロコです。

sun_1.jpg その他、部位や品種の基礎知識、ヨーロッパの加工肉(写真4)、熟成についてなどトピックも盛りだくさん! どうぞ、じっくりとお読みください。

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投稿者 webmaster : 10:14

2012年04月13日

『スペシャル アンティパスト』

06138.jpg『スペシャル アンティパスト』
著者:原田慎次、堀江純一郎、斎藤智史
発行年月:2012年4月14日
判型:B5変 頁数:260頁


 1年近くに渡って撮影でおじゃました3店。
料理だけでなく、多岐に渡るシェフのお話は
実に興味深いものでした。

料理については本書をじっくり読み込んでいただくとして、
ここでは私の個人的な感想などを書くことにします。

シェフの人となりやお店の様子などを
少しでも垣間見ていただければと思います。


06138_1_1.jpg●原田シェフ (アロマフレスカ) ====================

 取材途中、「それって何ですか?」「どういう形状のものですか?」と、勉強不足ゆえの愚問を繰り返す私たちに対して、原田シェフは何度でも厨房に走り、必ずその現物を持ってきて見せてくださいます。味見させてくださいます。そんなサービス精神溢れるシェフの姿勢が、レストランのサービスにも表われているのでしょう。

06138_1.jpg レストランでは、テーブル上に名前を書き入れた「Welcome」カードが綺麗にセットされており、会計の際の伝票にも必ず手書きで「いつもありがとうございます」のひと言が添えられています。ちょっとしたことなのですが、そういうところまでもてなしの心が行き渡っているのは、とても気持ちのいいものです。そして、食後についつい話し込んでいると、次々と違う種類のプチフールが運ばれてきます。「ストップ」と言うまで延々に続くわんこそば方式、というのはウソですが、とりどりのプチフールは特に女性にとっては嬉しいもの。フロア中央に飾られた大きな生花が、銀座のど真ん中にいながらにして季節を感じさせてくれ、毎回楽しみにしていました。


06138_2_2.jpg●堀江シェフ (イ・ルンガ) =======================

 イタリアを、なかでもピエモンテをこよなく愛する堀江シェフ。基準になっているのは「イタリア人が食べた時においしいと思ってもらえるか」だとうかがったことがあります。9年間を過ごし、現地でシェフとして一ツ星を獲得した経験を持つだけに、イタリアに対して本当に真摯に向き合っておられるなといつも感じます。その根っこの部分は崩さずに守りつつ、奈良の地にあって、ランチは開店以来毎日満席という繁盛ぶりを続けておられるのは立派です。

06138_2.jpg観光スポットは周囲に数えきれないほどありますが、休みの日は食材探しなどに駆け回り、ろくに奈良を観ていないとのこと。イタリアに対してと同様に、料理に対しても食材に対しても、真面目さは変わりません。
 奈良木綿のどっしりとした暖簾をくぐり、格子戸を開けて一歩足を踏み入れると、そこには別世界が広がります。昼は四季折々の木々が自然な姿を見せる庭の風景を楽しみながら、夜は行灯の灯りに誘われて玄関へと向かうアプローチ。道路の喧騒からは想像できない静かな空間です。クリスマスシーズンにうかがった折には、大きな大きなもみの木が鎮座ましましていました。


06138_3_3.jpg●斎藤シェフ (プリズマ) =======================

 斉藤シェフの、食材へのこだわり、いいものを見極める目(食材に限らず)は怖いくらいです。業者の方には、ダメなものはダメとはっきりと伝え、徹底的に品質を追求し(「喧嘩する」by斎藤シェフ)、お互いに緊張感を持ち続けることで、常に最高のものを入手できるというのがシェフのポリシー。人にも厳しいけれど、何より自分に厳しく、料理には本当に手がかかっていて、仕込みの仕事量は半端ではありません。

06138_3.jpgそれでも、毎朝市場へ足を運び、営業後はピッカピカに厨房(&店舗)を磨かれています。「そんなことは当たり前」と涼しい(?)顔をされながら……。
 ある日ディナーにうかがうと、大きなガラス窓が全面開け放たれていて、何とも心地よい空間が広がっていました。その日は小ぶりの雨だったのですが、かすかな雨音やら、濡れた植物の香りやら、蝋燭の炎のゆらめきやらがアンニュイな雰囲気を醸し出して…。そんなオープンエアになる季節もおすすめです。

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投稿者 webmaster : 09:44

2012年04月11日

料理本のソムリエ [vol.41]

【 vol.41 】
大正時代の鶏だしおでんの謎

 いやあ、前回は長かったですねえ。お説教みたいな話が続いてまあ退屈なこと。やれやれ、ようやくおでんの話は終わりだと思ったでしょ? ところがどっこい、終わったのは関東大震災後の復興の話だけで、おでん談義はまだ続きますよ。なにせ明治時代の屋台の原価の話でおしまいになってたじゃないですか。これからいよいよレシピの検討に入るわけですからね(この展開、前にも見たことがあるぞ…)。

 実は前回紹介した『女が自活するには』なんですが、ちょっと引っかかる記述があるんです。関東大震災の年の冬に出版されたこの本に出てくるおでん種は「こんにゃく、芋、豆腐、がんもどき、等のものから、しのだ、はんぺん、竹輪、さつま揚げの上物までいろいろあります」(一部句読点を補ったり漢字を書き改めています)。明治時代の職業紹介書に見られるおでん像よりもバラエティが充実してきたようです。

00763.jpg この「しのだ」ってなんだかご存じですか? 「葛の葉」のしのだの狐(って言ってわかるかしら? 安倍晴明のお母さんです)にかけておりまして、油揚げ巻きのことです。百聞は一見にしかず、右の写真の左下隅にあるのがそれであります。ちなみにこの本、すべての掲載店のおでん種を同じアングルで撮影し、同じ縮尺で掲載するという妙なところでやたらに手間をかけた、図鑑マニアの心をくすぐる仕様になっております。

 おっと、気になっているのはおでん種ではなくて、その煮汁のほうでした。『女が自活するには』の説明には「煮込の汁は鶏骨の出汁を用いているようで」とあるんですよ、カツオ節でも昆布でもなくて。鶏ガラだしを使ったおでんは『日本全国おでん物語』によりますと九州に見られるそうで、コクがつくので最近ではあちこちで取り入れられるようになってきましたが、まさかこんな時代の本でお目見えしようとは。それでは味つけはといいますと…、調味料については触れられておりませんでした。残念。

 ならばと、おでんレシピをちょっと探してみたところ、読売新聞の大正5年12月13日朝刊の「毎日の惣菜」という欄に煮込みおでんがありました。「蒟蒻をゆで三角に切り、八ツ頭をさっと茹で、がんもどき、すじ、焼豆腐などを適宜に切り、鍋に入れ水をたっぷり煮汁(にだし)または鳥の骨三羽位を入れ、汁(つゆ)の半分位になるまで煮込み、醤油を加え、蒟蒻等に味のしみ込むまで煮込みて別に小鍋に取り分け、小皿へは七色または胡椒を添えてすすめる」。おでん種の種類は違いますが、ここでも鶏骨がでてきますね。

 ところで寸分違わぬ文章が、5年後の大正10年12月25日朝刊にも再掲載されています。これって当時の「おでん職人連合会」の公式レシピなの? いえいえ、たぶん記者が手を抜いたんでしょう。まさか100年後にねっとり粘着質なブログで記事の使い回しが指摘されるとは、思ってもみなかったでしょうね。まあ、当時の(今も?)レシピ欄なんて埋め草みたいなもんですから、この程度の扱いだったのかもしれません。

 震災後の大正13年12月13日読売新聞朝刊には、栄養研究所の発案として煮込みおでんのレシピが載っています。こちらは「八ツ頭100匁(375g)、焼竹輪80匁(300g)、コンニャク70匁(262・5g)、焼豆腐80匁(300g)、ガンモドキ50匁(187・5g)、鳥骨50匁(187・5g)、砂糖、醤油」が材料。砂糖が入ってちょっと甘辛そうなんですが、具の分量しか書かれていないので正確な味付けはわかりません。「八ツ頭は皮をむき、適宜に切りて塩もみして、塩を洗いおとしザットゆで。コンニャクは好みに切りて塩もみし、その他のものは好みに切っておく。右の材料を細かに切った鶏骨と共に鍋に入れかぶるに足る水を加え、充分煮込んで、適宜の砂糖と醤油にて味をつけなお充分に煮込んで供す。(注意)薬味には溶きからし、七色とうがらし、刻み葱、おろし大根等がよい」

saigen_oden.jpg ここで恒例の再現コーナー!(どんどんぱふぱふー) ただし家庭で鶏骨を細かく切るのはとても無理だし、一緒に煮ると鍋の中で邪魔になるので別鍋で鶏だしを取りました(沸かしすぎて白湯になってしまったのでちょっと汁が濁ってしまいましたが)。また八つ頭はさすがに売ってなかったので里芋で代用です。がんもどきは別のレシピで切り分けよというのを見たので、できるだけ大きいのを。それにしても竹輪多すぎ! まあこうした加工品は当時と同じとは限らないので、なんとも言えません。

 同じく大正13年11月刊、村井政善(国立栄養研究所の調理部長だった人です。もっとも前年に彼は辞めて大日本台所司会を立ち上げております)の『最新実用和洋料理』では、材料は「里芋あるいは八ツ頭、味の素匙5杯、コンニャク、焼豆腐、竹輪、がんもどき、竹輪麩、さつま揚げ、鶏骨、右のごとき多種類のもの何でも集めます」。東京人にはおなじみの竹輪麩が登場してますね。「芋の皮をむき、一度ゆでて他のものは好みに切って3つ4つくらいずつさらに串に刺し、鍋に入れ、鶏骨の切ったものを端の方に加え、かぶるくらいの水を入れ、気長く水炊きして後、適宜の砂糖と醤油を加え、充分煮込んで味の素を加味し、なおしばらく煮て皿に盛り、刻み柚子などをちらしてすすめますと結構であります」。うーん、味の素しか分量を示していないので隔靴掻痒。露骨に味の素推しなのは、彼が栄養研究所時代に料理無料講習会で提供を受けたからにほかなりません。

 一方大正12年11月12日の東京朝日新聞では、「バラック料理」と銘打って、東京女子割烹学校の指原乙子校長先生のおでんの作り方が紹介されています。震災で焼けだされて仮設暮らしの人たちに、温かいものを食べてもらおうという企画ですね。ここにきて、ようやくおでん種も調味料も分量が明記されました。
 材料はがんもどき3枚、コンニャク2枚、サトイモ3合(個数じゃないんですね)。がんもどきは八つ切り(ちょっと小さすぎないか?)、コンニャクは縦半分に切って小口から4分くらいの厚さ(1.3mm。これもちょっと薄すぎる感じがしますが、明治時代の開業本にはとにかく薄く切って利益率を上げろといろいろな本に載っております)に切り、サトイモは大きければ半分に。コンニャクとサトイモを下ゆでして、その湯をがんもどきにかけて油抜きをします。肝心の煮汁ですが、水2合、鰹節茶呑み茶碗1杯くらい、砂糖は同じく3分の1杯、醤油1杯で味加減。煮ながら食べるのがおいしい、とのこと。おやおや竹輪がないのはともかくとして、鶏骨を使っておりませんぞ。朝日新聞たら読売新聞に対抗意識丸出し?
 

 ところが大正15年ともなりますと、読売新聞のおでんレシピからも鶏骨の姿が消えてしまいます。1月26日の朝刊掲載で、東京女子割烹学校に対するは東京割烹女学校(ややこしいね)の秋穂敬子校長先生。5人前の材料は八つ頭2個、こんにゃく2枚、がんもどき3個、竹輪1本、煮出汁3合(540ml)、酒5勺(90 ml)、醤油7勺(126ml)、砂糖大さじ2杯とありまして、だしの種類は書いてない。それにしてもこっちもかなり甘辛そうだ。

 大正14年8月の大日本料理研究会編『斬新美味惣菜料理顧問』(大正から戦後まで続いた料理レシピ雑誌「料理之友」の出版元です)では、材料はがんもどき2枚、こんにゃく1枚、里芋3合または八つ頭2個、ちくわ麩2本、さつま揚げ5枚。5寸くらいの昆布を鍋の底に敷きまして、下ごしらえが終ったおでん種を固めて入れ、煮出汁をかぶるほど(およそ3合)加えて火にかけます。煮立ったら煮きりミリン5勺(90ml)あるいは砂糖大さじ山1杯を加え、醤油3勺(54ml)を加え、「一煮してから弱火(とろび)にしてとっぷりと二三時間くらい煮ます」。おお、ようやく昆布が登場しましたよ。「煮えたらば竹串に一個づつさして小皿に受け、溶き芥子を少々つけていただきます」というのがちょっと笑っちゃいますね。串に刺してないとおでんらしくないと思われたのでしょう。それなら初めから刺しておけばよかったのに。熱いし煮くずれしちゃいますよ。

 昭和2年11月20日には2年前から始まったばかりのラジオ放送で、煮込みおでんの作り方が紹介されました。こんにゃく、八つ頭、竹輪、さつま揚げ、焼き豆腐、がんもどきという定番の顔ぶれにダイコンが加わりまして、味つけは煮出汁3合(540ml)に対し、砂糖10匁(37・5g)、醤油3勺(54ml)。秋穂校長のレシピよりはずっと醤油が少なくなりましたが、まだそれなりに味が濃いです(実は上の再現おでん、この配合で味付けしてみました。そしたらおでんというよりは旨煮や筑前煮みたいな味に…)。なお、八つ頭と大根は分量外の調味料で下味をつけろとありまして、どうも濃いめの味がお好みのようです。

 こうしてみると図らずも、料理レシピがメディアでどのように紹介されるようになったかが、ぼんやり見えてきますね。割烹教授も料理本も明治時代からありましたが、大正に入ると新聞や雑誌、ラジオなどのメディアが料理を多く取り上げるようになりまして、分量も書かれるようになります。これは栄養知識の普及活動などが背景にあるのでしょう。

 料理学校の先生が紹介するレシピは実際に町で食べられているおでんそのままではない可能性がありますが(屋台でもこんなに砂糖を使ったんですかねえ)、当時の人たちがおでんをどんな食べものと思っていたのかがうかがわれます。震災前後の煮込みおでんはまだまだかなり味が濃くて煮〆や旨煮っぽい。それにしても大正時代に現れて忽然と消えてしまった鶏骨レシピはいったいなんだったのでしょう。大正大津波のときに長崎あたりのおでん職人が炊き出しでもたらしたんでしょうか。何が江戸から伝わる味で何が当時のスタンダードなんだか、誰か教えてくださいよ。
 流行廃りの激しい東京では、お客さんはすぐ新しい味に飛びつくので、昔ながらのおでんでは差別化できなかったのかもしれません。ただし震災後に東京を席捲したとかいう新しいおでんが関西生まれで、当時の「関東煮」と同じだったという確証はありませんが。

05995_negima.jpg ちなみに大正3年大阪刊の『五円までで出来る営業開始案内』に関東煮屋(かんとうだきや)という言葉が見えまして、関東大震災を機にその名が広まったという説もかなり怪しいことがわかります。「仕入れる原料は小芋、こんにゃく、あげ、貝、天ぷら等で、少し上等になると、かまぼこ、葱ま」とありまして、ねぎまの串(焼き鳥じゃないですよ。マグロと白ネギの串刺しです)が入るのが大阪らしいですね。東京でねぎまといえば煮ながら食べる鍋物でして、先の『惣菜料理顧問』のおでんの項の直前には、ちょうどねぎま鍋が出てきております。

 また同じく大正3年大阪刊の『生活難退治 無資本成功』には、関東煮屋を「東京でおでん屋という、大阪とは全然違うが、それはどちらでもよい」とありまして、東京のおでんと大阪の関東煮は同じようでいて違いがあることを意識しているように読めます。

 なお大正時代の関東煮屋で使う調味料やだしの種類が分かる資料は見つかりませんでしたが、恐らくたまりや淡口醤油が必須でありましょう。なにせ『生活難退治』がいうことにゃ、「料理店で客へ出して残った刺身の醤油や、吸い物の汁、旨煮、煮肴の汁等を買い集める、というよりもほとんどもらいに行くのだ。仲居や板場にお世辞をふりまいておけば、きっと残しておいてくれる。ほんのわずかな銭でもらってきて、さてそれを関東煮屋へ卸しに回るのだ。廃物利用の一挙両得とはこれらの事であろう。料理店の十軒もあれば優に商売になってゆく。これらはほとんど人の余り知らぬボロイ商いである」。うわー、なんてあけすけな。明治の東京も大正の大阪も、することはあんまり変わりませんなあ。

  

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