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2012年11月14日
料理本のソムリエ [vol.47]
【 vol.47 】
波屋書房のカクテル本を訪ねて
実は前々回に「まったり」の話をアップしたあと、ちょっと反省したのですよ。まったりの使い方について考察するのは東京スカイツリーの足元なんかより、京都タワーや通天閣のほうがずっとふさわしいんじゃないかって。このブログでは以前にもおでんの大阪起源説や震災後の関東煮東漸説に冷水をぶっかけたりしているし(vol39)、大阪人からいらぬ反感を買ったんじゃないか。フライドチキンの創業者像と一緒に戸板にくくりつけられて道頓堀に放り込まれたりしないかしら…。
わが身の安全のために弁明しますと、とんでもない誤解ですからね。私は以前から大阪での取材が多かったこともありまして、彼の地に対する愛はハンチクなものではありませんぞ。その証拠にほら、写真は現在『専門料理』で連載中の「魚介 浪速割烹」の撮影を見学したときのもの。上野修三さんとそのお弟子さんたちの調理風景ですね。こっちが完成した料理です。雑誌撮影にしちゃ会場が広くないかって? そりゃもちろん、これからみんなで試食するからですよ? だから私がこうして参加してるんじゃないですか。このときの料理は来週発売の12月号に掲載されますのでお楽しみに。
撮影はなんばの一心寺の研修会館で午前中からお昼にかけて。終わった後はぶらぶら大阪見学です。黒門の市場といい道具街といい、大阪はどこに行くのも近くて歩いていけるのがいいですね。ここまできたら料理本のメッカ、千日前の波屋書房さんにも寄っていかなきゃね。
なんばグランド花月のすぐ近くのお店の中に一歩足を踏み入れればご覧の通り。マンガや風俗雑誌は見当たらない代わりに、右の棚も左の棚も料理本がずらり。お店のほぼ半分を料理本が占めておりまして、その在庫の多さは半端ではありません。おまけに家庭向けレシピ本は奥の方にちょっと決まり悪そうに並んでいる一方で、前のほうでどーんと幅を利かせているのはプロ向けや食文化を扱う読み物です。料理関係の文庫や新書ばかりを集めた棚なんて、よそではなかなかお目にかかれませんよ。
ちなみに小社では一昨年の創業60周年記念に過去の書籍の中から10種類を復刻し、通常の流通ルートには乗せずに限定販売したところ、出版業界専門紙「新文化」のニュースに取り上げられるなど業界内では話題になったりしたのですが、この復刻本を扱っていただいたのは丸善、ジュンク堂と並んで波屋書房さんのみ。これだけでも、そのすごさがお分かりいただけるでしょ。
なお新文化の連載コラム「本のソムリエ・ロックスター団長がいく」(ちなみにこのブログのタイトルの元ネタです。ネーミングセンスが悪いとかいうと団長に言いつけますからね(笑))でも、波屋書房さんは取り上げられております。
<難波の繁華街を食べ歩いていると、にこやかに手を振る紳士を発見! その方は、芝本尚明さん。大正8年創業の老舗「波屋書房」の三代目店主です。さっそく店内に入ってみてビックリ! 敷地約30坪のスペースの大部分が「料理書」なんです! その理由を聞いてみると「20年前くらいに、店内の5分の1くらいの棚を使って料理書フェアをやってみたところ、予想以上の好評。とはいえ、料理書フェアのために売れ筋の風俗誌を減らしたため、収益面でのデメリットもありました。今後どうするか悩みましたが、お客様と会話しながら楽しく仕事できたことが嬉しかったので、そのまま料理書を置き続けることに決めました」とのこと>
実はこの料理書フェア、当社の温井営業部長(当時)がご案内して芝本さんとFOODEX(国際食品・飲料展)に出掛けたのがきっかけ。そこで販売していた柴田書店ブースにヒントを得て手がけられたものなんですって。えへん。
<それまでの波屋書房は、純文学との関わりが深く、『辻馬車』ゆかりの書店ということで有名でした。『辻馬車』とは、藤沢桓夫氏を中心とした大阪文学を代表する作家によって作られた同人誌です。この時代の名残りは、現在は波屋書房のブックカバーに引き継がれています。時の人気画家・宇崎純一氏作で、藤沢氏の自筆文字も印字されている貴重なものです。レトロな雰囲気がかわいくて、一目惚れしました! カバー単品で買いたいくらいです(笑)>
このように波屋書房さんは大阪文化の発信地として、文学研究の世界ではよく知られた存在です。ただね、ときどき「かつて文芸で知られた」なんていう取り上げ方をする輩がいるのがちょっと気に食わない。なんだか文芸のほうが偉くて料理本はずっと格下だとか思っておられませんか?
ざーんねんでした。波屋書房さんと料飲業界の縁は創業時からなのです。大正時代に盛名を馳せ、“西の夢二”とまでうたわれた宇崎純一氏の弟の祥二氏が波屋書房の創業者。挿絵画家“スミカズ”の活躍はかなりの間忘れられてきましたが、近年再評価が進んでおりまして、今発売中の雑誌「大阪春秋」148号にその最新成果が詳しく載っております。
戦前の波屋書房は出版業も行なっておりまして、のちに『飲食事典』を著す本山荻舟の『江戸前新巷談』など幅広く手がけておりましたが、その中に『家庭で出来るコックテールの作り方』があります。今の辻学園の前身の大阪割烹学校編。純一氏はここでスケッチの授業を担当されておりまして、学校の広報誌『婦人之世紀』のイラストも担当し、生徒さんたちの修学旅行に同行したりと深く関わっていたのです。
これは気になるぞ。どこかの図書館が所蔵していないか探してみたら、大阪府立大学にありました。もちろんこれは行かないわけには参りますまい。
広ーい構内を抜けまして図書館にたどりつきますと、おおっ、入り口に水島卜也の写本が展示されている! 水島流は江戸時代の礼法の流派のひとつで、式庖丁に関する資料のようです。礼法は日本料理についても深く関わっておりまして、その影響は研究が待たれる分野であります。
その奥には『料理の起源』で知られる民族学者の中尾佐助教授のコーナーも。うーん、料理との縁が深いですね。実は阪府大は数年前に大阪女子大学を併合しまして、その蔵書をそっくり引き継いでおります。大阪女子大学は大正時代に女子専門学校として開校されており、貴重な料理関係書も多く所蔵しているのです。
さて目的の『家庭で出来るコックテールの作り方』はといいますと、江戸時代の貴重書ではありませんから簡単に出納できましたが、図書館の蔵書なのでカバーがはずされておりました…。うーん、この習慣、本の作り手側から言いますとなんともさみしい話でして、どうにかならないもんですかねえ。なにせ装丁は宇崎純一によるものなんですから。もっとも扉のイラストもこの通りスミカズ調で、小さいながら粋な造りです。約200種類のカクテルのレシピが載っておりまして、サワーやポンチなども網羅しています。
おやおや、カキやハマグリのコックテールなんてのも載っておりますよ。
<オイスター・コツクテール(OYSTER COCKTAIL)
牡蠣のむき身の冷やしたもの(小) ………………………六個
トマトキヤツプ …………………………………………中匙一杯
ウシターソース ……………………………………………三滴
西洋酢 (ビネガー)…………………………………………二滴
レモンの搾り汁 ……………………………………………少量
食塩…………………………………………………………少量
胡椒…………………………………………………………少量>
トマトキヤツプはトマトキチヤツプの誤植で、ケチャップのことですね。シャンパングラスに入れて “ゆるやかにセーク(スプーンでかきまはすこと)”して小さじを添えてすすめるそうです。これはカクテル違いのような気もするけど、しゃれかしら?
ただ、例の五色の酒(vol12)のレシピを期待していたのですが、残念なことに載っておりませんでした。宇崎純一氏はモダンな文化人で、大阪のカフェの先駆け「キャバレー・ヅ・バノン」の常連でもありました。ここでも五色の酒は名物だったのですが…。
なお弟の祥二氏が波屋書房を経営していたのは昭和4年までで、店は番頭だった芝本参治さん(尚明さんのお父さん)が引き継ぎました。というのも祥二氏は29歳の若さで亡くなったからです。
ことの発端は、波屋書房発行の雑誌『辻馬車』に、編集担当の武田麟太郎がカフェの女給の橋本スミ名義で、「無政府主義者は革命革命と威勢はいいが実際はカフェで騒ぐばかりだ」と揶揄する詩を載せたため。怒った彼らは祥二氏を自宅近くで待ち伏せ、橋本を出せと問い詰めます。「知らない」(そりゃ、変名ですから。同人仲間だって誰の文章かわからなかったくらいです)と答えたために激昂した無政府主義の青年たちに袋叩きにあい、その傷が元で2年後に亡くなってしまったのです。まったくもってひどい話です。
あ、最後に断っておきますが、いま大阪府立大学の図書館に行かれても水島卜也の写本は飾られていないと思います。だって、上野さんの連載は雑誌掲載の1年前に撮影を終えておりますし、図書館に行ったのも今年の春。すみませんこのブログ、ネタはずいぶん前から仕込んでいるんですがなにぶん遅筆なもんで。次はあんまり間が空かないようがんばります。
投稿者 webmaster : 2012年11月14日 13:33