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2012年12月27日
料理本のソムリエ [vol.50]
【 vol.50】
ミシュラン?なにそれ?美味しいの?
いやあ、もうクリスマスだなんて一年は早いですねえ。いつもの年は「仕事ですよ、仕事!」っていう堂々たる言い訳が利きましたが、今年は何の因果かクリスマスイブが連休の最終日。旅行先で聖夜をお迎えの方もいらっしゃったことでしょうね。「みんなハッピーってわけじゃないんだってばクリスマス!」
ところがですよ、どうもクリスマスどころじゃないそうじゃありませんか。何でも21日から23日にかけて大異変が起きて世界が終わるという耳より情報が飛び込んできました。マヤ文明の長期暦が2012年12月21日で終わっているのがその証拠だそうで。なあんだ、じゃあ原稿を書いても無駄じゃない。この連休はコタツでごろごろしてよっと。ぐう。
そんなこんなで今26日です。なぜだっ。
クリスマスはレストランにとって一番の書き入れ時で、仕入れとメニュー内容、仕込みやオペレーションをどうするかは、皆さん頭を悩ませるところ。そこに焦点をあてた1990年12月号の月刊専門料理のクリスマス対策特集は、折りしもバブルがはじけつつあった微妙な時期だったこともありまして、参考になると喜ばれました。
そんな私はといえば、クリスマスにレストランに行ったことなんて…行ったことなんて(涙目)…おお、思い出した! ありましたよ、雑誌の先輩たちと一緒に(笑)。「ホントだ、同じ鹿でも仕入れを確保しやすいニュージーランド産だっ」「どのテーブルも同じ料理が同じタイミングでサービスされている!」なんて大興奮。いま考えたらすごく場違いなグループだったと思いますが、なあにカップルなんて周囲なんか目に入りませんてば。
もっともどのカップルも幸せとは限りません。クリスマスに奮発したフランス料理店でうまくふるまえず、それがトラウマになって大衆料理以外は認めないと心に誓ったり、逆にいつか見返してやるとモーレツに知識を溜め込む人たちがいるようです。後者のガリ勉タイプは料理以外の、あの店のオーナーはどこだとか業界の構造だとか「俺しか知らない裏話」が好きですね。芸能ゴシップ好きの中学生みたい。
不思議で仕方ないのはそうしたガリ勉タイプのグルメさんの間に、「自腹で食事をしないと評価ができない」という主張がみられることです。そりゃ身銭をきれば身につくことも多いでしょうが、書評や映画評論や音楽評論や演劇評論は、みんながみんな自分のお金を払って本を読んだり試写会に行ったりアルバムを買ったりチケットを取ったりしているのでしょうか…。「自分はこんなにお金をつぎこんだ」「こんなにたくさんの店で食事した」というのがご自慢の方たちは、AKB劇場に通えばいいのに。
こうして誕生した自称グルメさんたちは、「こんなに料理にうるさい俺ってすごくね?」という性格のようにお見受けします。「料理店が好き」「食べることが好き」「いま食べている料理が好き」なんじゃなくて「いま料理を食べている俺が好き」。普段は奥さんに頭が上がらなかったり、後輩にうっとうしがられたりしている人も、料理店に行けば下にもおかず顔を立ててくれますから、そんなナルシストでも気持ちよく過ごせますしね。
ただし、彼らは自分より手厚くもてなされている奴が世の中にいるなんて我慢ならない。たまたま隣に座っている人が店のご贔屓筋で、料理長が挨拶にきた挙句にサービスの1品でも出してもらっていたのに気づいた日には、不倶戴天の敵に会ったような目で睨みます。背中越しに。その場では「お、おいしかったよ」と震える声で会計をすませて、すごすごおうちに帰ったとたんに鬱憤のすべてを恨み日記にぶつけるわけです。今はブログとかグルメサイトとかあってすぐにアップできて便利ですね。
他人にご馳走されるといくらかかったかわからない、という主張はまだ納得いくのですが(ただ、値段がわかっても満足度は本人の懐具合や胃袋の大きさにも左右されるから、絶対的な指標にはならないとも思うんですけどねえ。「この本は2000円なのに500ページもあってすばらしい」っていう書評はあんまり見当たらないよねえ)、さらに覆面調査でないとダメとおっしゃる方もいらっしゃいます。顔見知りのお客に出す気合の入った料理では、その店の真の実力はわからない、というご主張のようです。
これは3割くらい真実ですが、7割くらい見当はずれです。正直な話、有名ひょーろく玉…じゃなかった評論家が来るからといって、そうそう特別な料理はできません。そんな臨機応変なシェフは、そのことだけでも実力がある証拠です。とくにチームプレイで仕事をしている高級フランス料理店ともなると、急にレベルを変えることはできません。せいぜいお高い食材の盛りをよくするとか、おまけの一品がつくとか、お値段を勉強するくらいですかねえ。あ、有名評論家はただで飲み食いするそうだから、値段は関係ないか。
料理店がヒョーロン家様に便宜を図って、都合のいい記事を書いてもらっている、なんて話はステマが話題になるはるか以前から言われていることですが、そうでもしなきゃ人気を維持できない店は早晩だめになると思うんですが…。掲載料をとって店を載せるガイドブックってのも昔からある手法ですが、情報過多の時代ではもはや通用しませんよねえ。
そもそも「ステマを告発!」なんて息まく人たちも、実は特別待遇を受けている(に違いない)ヒョーロン家諸氏がうらやましくって悔しいんじゃないかしら、ってうがちたくなります。ナルシストというのはひがみっぽくて傷つきやすいものでして、自分が特別扱いされない現実を直視したくないし、顔を知られると陰であることないこと好き勝手に書けなくなるし、直接反論されるのが怖く怖くて仕方ない。その点、匿名なら安心安心。
「俺ってお世辞を言わない本音評論家だからさ」、なんていうのもありますね。内弁慶のまちがいでは? お店のことを思ってのきついアドバイスなら直接その場で伝えてあげてください。ホントに偉いのはたとえどんなに贔屓されたとしても、面と向かって堂々と欠点を指摘できる人で、そういう評論家なら煙たがられても尊敬を集めると思いますよ。
これから料理ヒョーロン家を名乗ろうとする人は、年間に通う店の数や妄想たっぷりのギョーカイ裏話で煙に巻くのではなくて、その視点の鋭さと分析の正しさ、表現力を売りにしてのし上がってほしいですね。なにせほとんどの人たちは、読者に納得してもらうのは大変だからでしょうか、てっとり早く誰かを貶めるものばかり。叩くことで権威づけして優位に立とうとするわけですね。「塩っぱい」「冷めている」「だしがうすい」「感動しない」…。文句をつけるのは駄々っ子だってできますし、異論に対しては「そりゃ、チミの感覚が鈍いからだよ」と開き直ればよろしい。辛口毒舌なほど偉いなら、このブログなんてそりゃもう相当なもんです(笑)。
落語の「子ほめ」からわかりますように、実は大変なのはほめるほうでして、第三者にもそのよさを納得してもらうのは難しいことです。それでは彼らはけなしてばかりでは芸がないのでほめるときはどうするかというと、誰から見ても問題なさそうな老舗か、逆にまだ誰も知らない新店をほめます。これなら反論される心配はありませんし、「こんな老舗に常連の俺ってすごくね?」「こんな店をもう知ってるなんて俺すごくね?」という自尊心を満足できます。そうしておいて、みんなが通うようになったところで、「あそこの店は味が落ちた」とけなします。上げて下げて二度おいしい。
こうしてみると3段階の格付だけで勝負するミシュランガイドというのは、それなりに良心的かつ言質をとられにくい賢いシステムなのがよくわかります。ミシュランの調査手法については、元調査員だったパスカル・レミが『裏ミシュラン―ヴェールを剥がれた美食の権威』で明らかにしています。ミシュランガイドに似せた装丁にしたため無駄にでかい文字組のこの本、邦題から連想するような内部告発的暴露本というよりは、芸能記者の語る裏話的な内容です。覆面調査といっても食事後はシェフに話を聞いたりすることも多いようで、身分を明かすのはかまわないようです。むしろ身分を明かして水戸黄門のような快感を味わってまして、大丈夫かしらとこっちが心配になるほど。もっとも調査員というのはかなりの激務で(レストランだけでなくホテルの格付もするわけですからずっとドサ回り)、そんなちょっとした楽しみがないとやっていられないようで、同情いたします。
意外と地味なミシュランの調査がいかにブランドを勝ち取ったか、その歴史と編集方針の変化については、最近『三つ星と世界戦略』が出版されました。またミシュランを生んだフランスの食ジャーナリズムについては『フランス料理と批評の歴史』が力作です。
これらの本にも書かれておりますが、ミシュランというのはタイヤメーカーなので、その出発点はマイカー族のための旅行ガイドでした。ですから移動先で快適にすごすために、という視点で編集されておりまして、その店がどこにあるか知っていないと掲載ページにたどりつきづらく、料理人名から検索できず、ネットで公開される前は不便なものでした。バブル真っ盛りの頃には、フランスからシェフを招聘しようとしているホテルの広報だか代理店だかから、「○○というフランス人シェフの星の数を教えてくれ」なんていう問合せが何度か会社にかかってきましたっけ(それも有名人ならいいのですが、どっかの田舎の1ツ星シェフばかりで)。どうしてそんなことも知らずに日本に呼ぼうとしたんだろう?
一方、作り手に焦点をあて、著者独自の視点から格付するガイドとして一世を風靡したのがアンリ・ゴーとクリスチャン・ミヨの共著「ゴー・ミヨ」です。保守的なミシュランに対して、ヌーベルキュイジーヌという料理界の動きを評価したいというジャーナリストらしい主張で始まったものの、二人は途中で袂を分かちます。アンリ・ゴーは一人でガイドを出版し、88年には小社から『フランスのレストランベスト50』として翻訳されましたが、21世紀を迎える前に亡くなりました。一方クリスチャン・ミヨのほうはゴー・ミヨの出版を続けますが、ヌーベルキュイジーヌブームの終焉とともに編集方針の主軸を失ってしまいます。書き手の顔の見えないミシュランの無敵さはここでも証明されています。
いま日本で見られる料理ガイドはおおむねゴー・ミヨのスタイルですが、ジャーナリズム魂の代わりにお客様気分と業界人気取りが詰まった「俺好みの店ベストテン」の域を出ておりません。『東京いい店うまい店』のように複数の覆面調査員に基づくものもありますが、各店の紹介文には調査員の主観と意見があふれておりまして、むしろ不安を掻き立てられます。どうして日本ではミシュランのような一歩引いた格付が見られないのでしょう。
そもそも日本には「見立番付」という立派な格付システムがありまして、これはミシュランなんぞよりもずっと古い。相撲番付に見立ててランク付けするもので、これは評価システムというよりも「給食で一番好きだったものランキング」と同じような、一種の遊びですね。vol45で紹介した「浪花みやげ」にもこうした番付が収録されております。
またもう少し批評色の強い「評判記」という伝統もあります。岩波新書の『江戸名物評判記案内』によりますと、上上吉という日本独自の表示方法で、役者から学者、小説、名物までありとあらゆるものにランク付けをいたしました。講評ものせているのが番付と違う点ですが、欠点を指摘する「悪口」担当者がいれば、支持を表明する「贔屓」がいて、全体を総括する「頭取」が仲裁するというふうに役割分担のある架空対談形式をとります。なあなあで丸く済ませるのが日本的だ、と思われるかもしれませんが、万人を不快にさせずに文章力で納得させる、高等技術だともいえます。
残念なことにこうした伝統が失われた挙句に、ネットの世界は自称グルメさんたちのレビューで一杯。そこにきて本家の黒船襲来です。日本版ミシュランを叩くことで溜飲を下げるとともに、相対的に自分の地位を高く保とうとする人もいますが、デートにせよ接待にせよ、世の中の圧倒的な人たちは「星がたくさんついている有名店に行きたい」わけでして、「なんとかいう料理ヒョーロン家がほめている知る人ぞ知る店」っていうのに対するニーズはそんなに高くありません。どうも勝負は見えている気がします。
じゃあ、そんなミシュランがすばらしいかといいますと…あははははのは。日本版のミシュランはよせばいいのに画質の悪い写真と店の中途半端な紹介文という蛇足がついてますからねえ。フランス料理のシェフたちが、若い頃あこがれだったミシュランの星に心がざわつくのはわかりますが、日本料理の料理人さんまでもが振り回されるのは見ていて残念。イタリア人はミシュランなんて意に介せず、『ガンベロロッソ』のほうを気にしますよ。
こんなに手厳しくてあとでいろいろ言われないかって? だあいじょぶですよー。実は私、大変なことに気づいてしまったのです。去年の今ごろ古本屋さんにもらった神宮館高島暦は12月の31日で終わっていたんですよ。それどころか会社に貼ってある印刷会社のカレンダーもその先がない。
「2と3を寝ぼけて見違えたんだっ! マヤの予言は12月31日のことだったんだよ!」
「な、なんだってー!!」
それでは皆さま、よい終末を。
投稿者 webmaster : 19:48
2012年12月26日
『イタリア菓子』
『イタリア菓子』
著者:藤田統三
発行年月:2012年12月28日
判型:B5変 頁数:176頁
イタリア菓子って大ざっぱで大味、ボソッとしておいしそうじゃない、
そんなふうに思っている人、けっこういるんじゃないでしょうか。
不肖、編集担当は、今回の撮影を通じて、以下のような結論にいたりました。
イタリア菓子は、手を抜いていい加減に作れば全然おいしくない。
でも、確かな素材を使ってきちんと基本を押さえて作ればこんなにおいしいものはない。
イタリア菓子に限らず、どんなものでもそうだとは思いますが、シンプルなだけに逃げ道がなく、手をかけたことも、手を抜いたことも、結果として際立ってくるのだと思います。
そして、イタリア菓子ってけっこう繊細だということもわかりました。シェフと本のタイトルについてご相談していた時、『意外と芸細(ゲイコマ) イタリア菓子』というのが浮上しました。内容的にはピッタリですよね、と、危うく決まりかけたほどで…(笑)。
「シンプル、飽きない、生地がうまい!」
イタリア菓子を端的にあらわしているキーワードだと思います。
本書に登場したお菓子の中から、まさにそんな一品をいくつかご紹介しましょう。
担当者が感動した、ほんのほんの一例です。
『メリンゲ・コン・フルッタ』
絶品でした。
卵白だけで、なんでこんなにおいしいの?というくらい。
卵白にグラニュー糖を加えて泡立て、低温で焼くだけのお菓子なのですが、合わせたホイップクリームとフルーツが絶妙のマッチングで、甘ーいけれど、クセになる一品でした。
苦いコーヒーと合いますね。
『トルタ・デッラ・ノンナ』
直訳はおばあちゃんのタルト。
タルト生地にカスタードクリームを詰め、松の実、塩、あられ糖、粉糖をふって焼くだけの素朴なタルトです。切り分けたらガブリとかぶりついて、あっという間にペロリ。生地とクリームの一体感、松の実の香ばしさ、砂糖と塩のコンビネーション……。
何なんでしょう、もう、文句なくおいしいのです。
毎日食べても飽きないと思います。
粉、砂糖、卵、バターだけで作る『トルタ・パラディーゾ』(左)や『トルタ・サッビオーサ』(右)は、まさに粉を味わうお菓子です。粉のおいしさが舌の上でフワーッと広がるお菓子なんて、他にはなかなかないでしょう。
ただし、これら、一見単純そのものに見えるお菓子でも、粉のふるい方、バターの温度、砂糖を加えるタイミング、生地の混ぜ具合、型の準備、オーブンの設定(ダンパーの開閉や上火・下火の強弱)などなど、注意すべき点がいくつもあります。そこがイタリア菓子の奥深さです。
さて、ここで著者、藤田シェフのお人柄について少々。
シェフは一つのことをトコトン追究するタイプです。そして常に工夫を加え、練習を繰り返して、前へ前へと進むタイプです。いつもバイタリティにあふれています。ですから、いろいろな肩書きをお持ちです。
たとえば、イタリア菓子歴史研究家、ティラミス研究家、ジェノワーズの達人などなど。ジェラート開発については専門家です。あと、余談ですが、典型的なおしゃべり大好き関西人(スミマセン!)。お話がおもしろくて、熱くて、気がつけば1、2時間があっという間に過ぎていることもしばしば。
本書では、実際にお店で販売されているものの他、店では出されていない伝統的なお菓子も多く作っていただきました。そんな中シェフは、昔の文献をひもとき、解釈して、時に自分なりの工夫を加え、また時にはそのままの形で、いずれにしてもきちんと咀嚼をした上でレシピをご提案くださいました。
最後に、いつもシェフからいただいていた明るい言葉で、この本の紹介を締めくくりたいと思います。
「これ、メッチャおいしいんですよー。いっぺん食べてみてください!!」(目を輝かせながら)
投稿者 webmaster : 09:54
2012年12月25日
『ラ・パティスリー・デ・レーヴ レシピブック』
『ラ・パティスリー・デ・レーヴ レシピブック』
著者:フィリップ・コンティシーニ 技術監修、柴田書店編
発行年月:2012年12月28日
判型:B5横 頁数:120頁
お菓子が好きならば、ご存知の方も多いかもしれません。フランス菓子の巨匠、フィリップ・コンティシーニさんのレシピブックがついに日本で出版されました。いまパリで話題の「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」の珠玉のレシピ約40品が、店舗で実際につくられる配合で公開されます。
コンティシーニさんは料理店のデセール担当からお菓子の道に入り、類まれな才能と、大きな身体とユーモアがトレードマーク。一躍スターダムの仲間入りを果たしました。大胆かつ繊細な味づくりが高く評価され、クープ・ド・モンド(菓子職人のワールドカップ)ではフランスの監督としてチームを優勝に導いた経験もあります。また、いまでは当たり前になった、グラスに重層的に重ねるデセール風の持ち帰り菓子は、彼のアイデアが基になったと言われています。味を自由自在に駆使する天才性から”味覚の魔術師”と呼ばれているパティシエです。
そんな巨匠がいま重視しているのが、古典菓子を現代に甦らせること。それも生地のつくりかたやクリームを構成する素材の見直しまで、徹底して一から検証し、いま彼が「もっともおいしいと思う製法」に落とし込んでいるのです。古典菓子には、長く愛されてきたおいしさ、モードを超える完成度の高さがあります。誰もが好きと思う味をつくり直すとは、なんと勇気の要ることでしょう。しかも、それを食べ手が素直においしいと思うレベルで実現する。つまり古典回帰とは、最高レベルの技術集団だからこそ、できるワザなのです。
たとえばパリブレスト。シュー生地をリングに絞り出し、プラリネ入りのクレーム・オ・ブール(バターとイタリアンメレンゲのクリーム)をはさむのが定番のスタイルです。それを「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」では丸いシューを連結したようなかたちに絞り出し、クリームはクレーム・パティシェール(カスタードクリーム)にプラリネを加えて、食感を軽く、味をリッチにしました。そして、クリームの中央には冷凍したプラリネをしのばせているのです(食べる時は溶け出してきます)。これによって、プラリネの味が鮮烈に印象付けられるというわけです。シュー生地の味も強くしました。配合を見直すだけでなく、製法手順から考え直しています。
第1章「古典---現代」では、パリブレスト、タルトタタン、サントノレ、フレジエなど、古典菓子をもとにした菓子を、古典レシピそのものの解説も踏まえながら、ご紹介しています。「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」の何が新しく、どんな哲学のもとに菓子がつくられているのか。レシピをひも解きながら、読み進めることができるでしょう。
第2章「素材---菓子」では、素材から菓子が生まれ、菓子から素材を考える、をテーマにしています。菓子をつくる際にどんな素材を選ぶかは大きな問題であり、楽しみでもあります。コンティシーニ流の素材論は、フランスと日本の素材の違いにも言及しています。
第3章「子ども---大人」では、子どもが大人になり、大人が子どもに伝える、をテーマに、コンティシーニ氏と「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」オーナーのティエリー・テシエ氏が、子どもたちに伝えたい味覚の世界について、現在のパリで考えるフランス菓子とは何か、また2012年秋に出店した京都について語っています。
横長の小さな可愛らしい本です。カラフルな「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」の世界観にぴったりの写真撮影を担当したのは、気鋭の女性写真家として注目の千倉志野さん。透明感のある美しい写真から、いまにも甘いお菓子の香りが漂ってきそうです。
2012年9月、「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」は京都に日本1号店、10月には大阪うめだに2号店をオープンしました。日本オリジナルの本書の出版は、大の日本贔屓というテシエ氏とコンティシーニ氏から日本の皆さんへの贈り物です。
投稿者 webmaster : 11:42
2012年12月18日
『専門料理2013年1月号』 編集後記より
『専門料理2013年1月号』
発行年月:2012年12月19日
判型:A4変 頁数:158頁
特集:料理界25人の言葉
「料理人、ソムリエ、エッセイスト、科学者など、25人にインタビュー!」
「自身の人生をふり返ってもらいつつ、今の料理界についてお話いただきました」
2013年のスタートを飾る1月号の特集は、「料理界25人の言葉」。料理界の先輩たちに、自身の人生をふり返ってもらいつつ、料理界の課題や提言、若手へのメッセージをいただきました。
仏、伊、中、日の料理人の他、サービスマンやソムリエ、そして調理師学校の校長にエッセイスト、科学者、ジャーナリスト、写真家と……それぞれの道でトップを走る25人にインタビューしたんだけど、それぞれ違う角度から今の料理界を見ていて、そこがおもしろかった。時代を築いた人の言葉には重みがあります!
日本料理だけ見ても、西 健一郎さん(京味)と高橋英一さん(瓢亭)という東西を代表する名料理人のお二人に、世界で活躍する松久信幸さん(NOBU)、そして日本料理界に革命を起こし続ける村田吉弘さん(菊乃井)――。
西さんは独立して5年から6年後に父親のもとで料理の再修業をして、料理の土台を固めたそうなんだけど、75歳を迎えた今もなお、「まだ修業の進行形」だそう。若い世代にも、やさしく、そして厳しい言葉でメッセージをくださいました。
一方、料理界の制度改革の必要性について話してくれたのが村田さん。努力した人が等しく報われる業界にするため、全国統一の検定試験を計画中だとか。
フランス料理では、坂井宏行さん(ラ・ロシェル)が登場。あの鉄人・坂井さんも、30代の頃は「坂井の作る料理はフランス料理じゃない」とか「フランス修業経験がないからあんな料理作るんだ」とかいろいろ言われたそう。それでも「おいしい料理がいい料理」という信念があったからこそ、ブレなかったんだって。
井上 旭さん(シェ・イノ)は、「どうせめざすなら、世界一をめざせ! 夜空でいちばん輝く北斗七星になれ!」と熱い言葉で喝を入れてくださいました。
フランス料理では、特別企画として「親父シェフ3人」の座談会も。田代和久さん(ラ・ブランシュ)、北島素幸さん(北島亭)、谷 昇さん(ル・マンジュ・トゥー)に実に9年ぶりに集まっていただき、5時間以上(!)に渡って、熱くもの申していただきました。
料理人以外では、エッセイストでワイナリーのオーナーでもある玉村豊男さんや、京都大学でおいしさの研究を続ける伏木 亨先生などにもお話をうかがいました。
伏木先生には科学者の立場から、「お客さんにおいしさを印象づけるための方法」や「おいしさを強く感じてもらうための提供スタイル」などについても聞きました。詳しくは誌面をご覧ください。
新連載がスタート! 鮨、対談、仏×中の異ジャンル技術講座も
今月から新連載もスタートしました。
まずフランス現地取材では、パリ在住のジャーナリスト一押しの新鋭シェフが月替わりで登場。これからどんどん脚光を浴びるであろう若く意欲的なシェフを、1年で12人紹介します。
鮨の新連載でも、月替わりで職人さんにご登場いただき、煮ハマグリや酢締めなど鮨屋ならではの技術の他、アイデアに富んだ酒肴も数多く見せていただきます。
技術講座も刷新。フランス料理と中国料理で毎月同じテーマを扱い、互いの技術を比べることで深く掘り下げます。なお、初回のテーマは「燻す」。
異ジャンルものではもう一つ、ジャンルの異なる「今、話したい」相手と対談をしてもらう企画を。初回は東日本大震災のボランティアを続ける藤巻一臣さん(サローネグループ)と生江史伸さん(レフェルヴェソンス)に、「料理人が世の中にできること」についてお話いただきました。これをきっかけに「一歩」を踏み出してくれる読者がいたら、うれしいね。
投稿者 webmaster : 10:16
2012年12月14日
料理本のソムリエ [vol.49]
【 vol.49 】
一日に白米六合と六銭ぶんのおかずを食べ
今年もあと半月。思い起こせば柴田書店のある文京区では、2012年は森鴎外押しの年でした。なんでも織田作之助よりも半世紀先輩にあたる生誕150周年だそうで、年初めにはお祝いの旗が街灯だの商店の軒先だのに掲げられまして、会社のあるビルの1階エレベータ横にも飾られていたほどでした。区を挙げてお祝いムードを盛り上げようということなんでしょうが、配りすぎ。おまけにこれがまた吸盤が弱くて、落ちること落ちること。エレベータから足を踏み出すと鴎外先生にうらめしそうににらまれてぎょっとしました。
そうこうしているうちにいつの間にか片付けられたと思ったら、秋にはずいぶんかわいくなったVサインする鴎外さんが近所の酒屋さんにお目見えして、またまたぎょっとしました。ぜんぜん懲りてない…。と思いきや、どうやら11月1日に森鴎外記念館が完成するのに先駆けて作られたもので、この旗を見つけた人は景品2000点以上が当たる抽選会の参加資格が得られるという催しだったようです。旗には気づきましたけど、抽選会の告知がどこにあるのかまったく気づきませんでしたよ…。
悔しがっていたら今度は図書館でスタンプラリーを実施していました。区内の4館を回ると記念品をくれるそうです。図書館ならひんぱんに出入りしているからちょうどいいや。今度は取り逃がしませんぞ。ついでにくだんの森鴎外記念館にも寄るといたしましょう。
森鴎外の遺品なら高校生の頃に見たことがあります。当時は本郷図書館に付属する記念室でこぢんまりと展示されていたのですが、図書館機能は近所に移して丸まる記念館として建て替えたというわけ。もともとこの場所は鴎外の自宅である観潮楼の跡地でして、戦火で丸焼けになりましたが、門柱の基礎石や鴎外が座った庭石などが残っています。
それにしても今度の施設のまあ立派なこと。と思ったらがっちり入場料をとられましたよ(泣)。でっかいiPhoneよろしく、著名作家たちが鴎外に送った葉書の画像を指スクロール&クリックすると、ひっくり返って裏側が見られるなんていう展示もありまして、お金がかかっております。素敵なカフェが併設されており、区内の和洋菓子店が開発した鴎外ブランドの菓子も食べられます。鴎外の焼印を押したものあり、作品にちなんだものあり、ちょっとこじつけっぽいのはご愛嬌。
個人的に興味深かったのは、開館にあたって新しく寄贈された「日本兵食論大意」自筆原稿の展示です。文豪森鴎外は、陸軍に仕える軍医森林太郎という顔ももっておりました。この論文は「大意」とありますように、鴎外がドイツ語で執筆した論文の要点を日本語にまとめて、留学先のドイツからわざわざ送ったものです。当時最先端のドイツ医学を取り入れたこの研究があとあとまで尾を引いて、鴎外と周囲の人を振り回したんだよなあと思って眺めると感慨深いものがあります。
鈴木梅太郎が世界に先駆けてオリザニンことビタミンB1を発見したことは、子供向けの偉人伝などにとりあげられるほど有名な話。また日本海軍はカレーだの肉ジャガだの洋食の普及に一役買っていますが、そもそもの始まりは海軍軍医の高木兼寛が脚気防止のために洋食の献立を採用したからでした。彼は明治17年に戦艦「筑波」を使って従来の食事で脚気患者を大量に出した航路でパンや洋食を取り入れた改善食を与え、比較実験することで、米を減らして麦を多く採ることが脚気予防に有効なことを立証したのです。
それに対して陸軍が延々脚気に悩まされ続けたこと、その責任の一端が日本兵食論大意で軍首脳部をミスリードした森鴎外にあると語られるようになったのは平成に入ってからでしょうか。失敗の歴史というのは、なかなか言うのにはばかれるようで、広まるには時間がかかるようです。
ここで事情を知らない方にざっくり説明しますと、「舞姫」「阿部一族」「山椒大夫」などの作品で知られる森鴎外は文筆で生計を立てていたわけではなく、れっきとした医学博士でありました。あまりのかしこさに2歳年をごまかして(逆サバを読んだわけです)12歳で現在の東大医学部に入学し、19歳で卒業して陸軍省に入ります。すぐに念願のドイツに4年留学しまして、コッホなどの著名な研究者の元で学んでおります。当時のドイツは細菌研究が飛躍的に進みつつあったものですから、鴎外も脚気の原因を未知の細菌に求めてしまいます。
最先端の学問を学んだ早熟の天才鴎外にとっては、先輩たち(vol34の三宅秀とか)など何するものぞ。高木兼寛の洋食採用にも異を唱えます。高木は洋食採用で脚気が防げるのは窒素(タンパク質)の割合が高いからと考えており、鴎外はその誤りを突きます。
しかし理論の正しさはともかく、ただでさえ麦は白米よりビタミンB1が多いうえに、おかずもしっかり食べる海軍の食事のほうが優秀だったのは明白でした。日清戦争での陸軍の戦死者は1000人、戦傷死は300人程度に対し、病死者は2万人以上でこれにはマラリアや赤痢も含まれますが、そのうち4000人が脚気で亡くなっております。複数回かかる人がいるものですから、全体の発生率はなんと180%。日露戦争はさらに苛烈で、戦死者は4万6000人にものぼりましたが、脚気による死者もそれに負けじと2万7000人強。戦地での入院患者は約25万人でその半数が脚気でした。これではなんのために大陸くんだり連れてこられたのかさっぱりわかりません。一方海軍はといいますと日清戦争での脚気の死者は1人、日露戦争では3人です。いくら海軍兵士のほうが全体の人数が少ないとはいえこの差は…。
椅子からぶらぶらさせた足の膝小僧の下をぽんと叩くと、反射で本人の意思にかかわらずつま先がぴょんと前に出る。もしうんともすんとも言わなければ脚気の疑いあり……なんていうのが学校検診にありましたが今も行なわれているのでしょうか? 当時は脚気になったがどうしたと馬鹿にしておりましたが、重度の脚気で命を落とすというのは驚きでした。くわばらくわばら。炭水化物をエネルギーに変えるにはビタミンB1が不可欠でして、これが不足すると末梢神経に障害がおきて、疲れやすく、歩くのも困難になります。さらに心臓の動きも弱まり、「衝心」すなわち心不全になってしまうというわけです。
ビタミンB1は水溶性で多めにとっても尿として排出されてしまうので、常に一定量を摂取しなければなりません。しかし陸軍兵士に1日に支給される食事は明治6年に白米6合と副食物6銭6厘(4年後には政府の財政難を受けておかず代は6銭に減らされます)と定められました。6合という数字は江戸時代の武士の一人扶持(家族手当)で支給された米が5合だったので、兵隊はもっと必要だろうとソロバンをはじいたそうです(もっとも武士も米ばかり食べていたわけではなく、これを換金して生活費としていたわけですが)。
米が給料替わりだった江戸時代の食事はいきおい米偏重となり、武士階級から脚気が流行りはじめます。田舎にいるとかからないので「江戸わずらい」と呼ばれ、その療法としては豆や麦の粥を食べることが有効だということは経験から知られておりました。
実は陸軍も、平時においては麦飯を採用することで脚気患者を減らすのに成功していました。ところが肝心の日露戦争時においては、麦が傷みやすくて運びづらいことから白米偏重という愚を犯したのです。輸送力があり厨房も備えた軍艦暮らしの水兵と違って、人力で食糧を運んで屋外で調理する歩兵では、おかずが少なくてすむ握り飯(麦飯はぽろぽろくずれやすいのであくまでも白米です)中心の食事にしたほうが簡単だったという事情もありました。もっとも大陸のような極寒の地では握り飯は凍って食べられなくなってしまうのは、浅間山荘事件でのカップラーメンの活躍でご存知の方もいらっしゃることでしょう。脚気の蔓延に苦悩した戦地の軍医たちは麦の支給を求めますが、脚気は伝染病という頭のある陸軍上層部の動きはにぶく、すべてが後手後手となりました。
『高木兼寛伝』を著した松田誠氏は、脚気伝染病説に固執した東大出身の学者たち、とくに鴎外は実験室での研究を重視するあまり、実際の患者の病状から考える疫学的手法をおろそかにしたと批判的です。イギリス医学を学んで看護婦教育にも取り組んだ高木兼寛は、理論よりも救済のほうに重点をおきました。パン食を嫌ってこっそり捨てる者が後を絶たないことから海軍の献立に麦飯も取り入れるといった融通性をもっておりました。なお高木の生涯は、吉村昭の小説『白い航跡』でも追うことができます。
いっぽう脚気研究で知られる山下政三氏は、『鴎外森林太郎と脚気紛争』で鴎外の立場を擁護し、脚気がビタミンB1不足による病気と学術的に証明されたのは、鴎外が医務局長として立ち上げた臨時脚気病調査会の功績であることを明らかにしています。またいったん脚気撲滅に成功した海軍もたんぱく質にこだわるあまり、缶詰や精白率の進んだ麦の採用などでビタミンが不足がちになり、再び脚気患者を出すようになったとも指摘しています。もっとも松田氏は高木が創始した慈恵医大、山下氏は東大の先生ですからちょっと割り引いて読みたくなりますが。
山下氏は陸軍の米飯偏重はひとえに鴎外の上司の石黒忠悳に責任があるとしていますが、坂内正氏は『鴎外最大の悲劇』で、あくまでも主導は現場に近い鴎外にあったと推測しています。どちらにしても鴎外にまったく責任がなかったとはいえないでしょう。臨時脚気病調査会の研究もうがった見方をすれば、学術的に立証されるまでは説を曲げたくないという鴎外の頑固さが原動力だったともとれます。理論の正しさに拘泥するあまり、予防につながらなかったとしたら本末転倒な気もいたします。
それにしてもなぜ日本軍ばかりが脚気に悩んだのでしょう。日露戦争では、ふらふらしながら突進してくる日本兵を見て、恐怖心を振り払うために酒に酔っているのだとロシア兵に勘違いされたそうです。ビタミンB1は豚肉にも多く含まれますので、欧米人や中国人にとっては縁遠い病気だったのです。おまけに西洋料理や中国料理に欠かせないニンニクがビタミンB1の吸収の助けになるのだとか。『栄養「こつ」の科学』によりますと、ビタミンB1はニンニクと一緒にとると、におい成分のアリシンと結びついて脂溶性のアリチアミンとなり、吸収しやすく、蓄えやすくなるそうです。さらにアリチアミンは交感神経に働きかけてノルアドレナミンの分泌量を増やし、エネルギー代謝を促すとあります。ネギやニラのにおい成分も同様の効果があるそうですから、薫酒山門に入るを許さずというのも理由があるわけですね。
それでは迎え撃つロシア兵は元気はつらつだったかといいますと、こっちはこっちで壊血病に悩まされておりました。壊血病はビタミンC不足から起きる病気で、コラーゲンが作られなくなって毛細血管から出血し、こちらも死に至ります。野菜や果物が不足する長期航海の船員たちがことごとく壊血病になり、海の湿気のせいだとか、伝染病だとか恐れられていました。脚気と違って日本では問題にならなかったのは、普段から親しんでいる漬物や緑茶にビタミンCが含まれていたからでしょうか。
それにしても日露戦争の時代に壊血病とは。柑橘類を食べることで防げるとわかってとっくの昔に克服されていたのでは?と思ったら、西欧でも米食論争のようなことをしていたのでした。『壊血病とビタミンCの歴史』を読むと、オレンジやレモンが壊血病防止に有効らしいとわかったものの、体積を減らそうとして煮詰めたり(当然ビタミンは壊れます)、硫酸でも代用できるとか麦芽がいいとか百家争鳴で、なかなか撲滅できなかったことがわかります。極地探検隊は壊血病に悩まされるのに野菜と無縁なエスキモーは平気(彼らは肉の生食でビタミンを摂取していたのですが)なので、さらに混乱。イギリス軍は南欧から輸入するレモンが高いのを嫌って、西インド諸島産のライムにとびつきますが、これはレモンよりもビタミンの含有量が少なくて効果が薄いため、柑橘そのものの有効性まで疑われます。そのうえビタミンCを多く含むジャガイモが普及することで、余計に原因がわかりづらくなってしまいます。壊血病予防にレモンが有効というのは、イギリス海軍軍医のジェームズ・リンドの実験で18世紀後半にはわかっていたにも関わらず、根本的な解決は20世紀のビタミンC発見を待たなければなりませんでした。
生鮮の果物が効果的らしいとわかっても、痛みやすいだのかさばるだのと理由をつけて別のものに頼ろうとして失敗するところなんて、麦と米との関係に似てますね。学者が自説や理論にこだわるあまりに真実から目をそむける、なんていうのは洋の東西を問わないようです。
そうそう、図書館めぐりの結果をお話してませんでしたっけ。天神、湯島、本郷、根津(天神図書室は湯島三丁目に、湯島図書館は本郷三丁目に、本郷図書館は千駄木三丁目にあってややこしいです)をぶじ制覇しまして、賞品を見事ゲットしました。鉛筆1本でした。でも、鴎外ブックカバーとしおりもくれたのでこちとら結構ご満悦であります。
投稿者 webmaster : 11:07
2012年12月03日
「鶏肉」「豚肉」 レシピ集。同時発売!! 編集担当者より♪
『使える鶏肉レシピ』
著者:丹下輝之、濱崎龍一、五十嵐美幸 共著
発行年月:2012年12月3日
判型:A5 頁数:136頁
この本の魅力のひとつは、
3人の料理人さんの個性が料理に現れているところでしょう。
「開花屋」の丹下さんは、お酒に合う料理のプロ。
本書でも、晩酌にぴったりの料理をたくさんご紹介いただきました。
◎豆ひじき入り松風バーグ
和菓子『松風』をイメージしたオーブン焼きバーグ。
おつまみ、おかずに。
『ひじき煮』をアレンジして“わが家風”ができます。
「リストランテ濱崎」の濱崎さんは、シンプルで、
素材の持ち味を生かす料理が人気です。
本書でも、素材をおいしくするコツを、たくさん教えていただきました。
料理人さんのアイデアや、ちょっとした調理のコツには、
いつも感心させられます。
◎鶏ササミのレーズンとピスタチオ風味
ハチミツの甘みとレーズンの甘酸っぱさが、
イタリアらしい組み合わせの一品。
「美虎」の五十嵐さんが作る料理は、アレンジ料理の他、
お馴染みのユーリンチーや手羽先餃子があったりと、
バラエティに富んでいます。使用しているのは、
テフロン加工のフライパンですから、中華鍋がないと、あきらめる必要はありません。
◎なすとササミのラー油和え
おかずとしても、ちょっとした箸休め、酒肴でも、
何でもいけます。
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『使える豚肉レシピ』
著者:笠原 将弘、音羽 和紀、小林 武志 共著
発行年月:2012年12月3日
判型:A5 頁数:136頁
この本も、3人の料理人の個性が楽しめます。
「賛否両論」の笠原さんは、テレビでもお馴染みの人気料理人の一人です。
アイデアが豊富で、家庭向けの料理のツボを心得ています。
◎豚ヒレ味噌田楽風
厚めに切った豚ヒレ肉に、おなじみの田楽味噌を塗り、
香ばしく焼き上げます。
「オトワレストラン」の音羽さんは、
弊社からもすでに何冊も料理本を出版しているフレンチのシェフですが、
料理が重なることはなく、いつも新しいおいしさで、
私たちを驚かせてくれます。
◎ポークと玉ねぎのラグー
甘いニンジンのグラッセが、
玉ネギとともにブイヨンで煮込んだ豚肉に
よく合います。
「桃の木」の小林さんの作る中華は、とても素材感が生きています。
◎レンコンと豚肩ロース肉の水餃子
もちもちの皮と、
シャキシャキしたレンコンの組み合わせが
おいしい一品。
この本では、ご家庭でも作りやすいように、
油通しや水溶き片栗粉の使用は極力控え、
調味料も一般の方が無理なく入手できるものばかり。
豚肉料理の本ではありますが、野菜のおいしさが印象的でした。
投稿者 webmaster : 09:46