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2013年09月26日

料理本のソムリエ [vol.60]

【 vol.60】

「ナポリたん」ってお子ちゃまキャラだと思ってたのに、
いったいどんな過去が…

 朝ドラのあまちゃん、いよいよクライマックスですねえ。料理人の皆さんはご覧になっているのかしらん。本放送中は仕込みだの仕入れだのをしていそうだし、再放送はランチの真っ最中だからねえ…。高校野球のシーズンは厨房でラジオを聞いてる料理人さんを見たことがあるけれど、さすがにテレビはねえ。

 私にいたっては午前8時なんて深い時間帯の放送にはあんまりご縁がなくて、夜中の一挙ダイジェスト放送でようやく全体像をつかむことができました。なるほど、よくできたドラマだわー。伏線がよく練られていて、きっちり回収されるのには感動です。さらに驚いたのは、てっきり震災は最後の最後のほうでちょこっと触れて、涙なみだのハンカチとオブラートに包んでおしまい、となるとばかり思っていたのがあにはからんや。まさかの正面突破です。批判もあるかもしれませんが、そのプロ意識に拍手を送りたい。

 そんなにわかファンはいまさら会社の近くが東京編の舞台になっていることに気づきまして、さっそくアメ横女学園東京EDOシアターの幻影を求めて聖地巡礼してみましたよ。ていうか、昼めし食べに行くあたりなので。シアターのモデルのアメ横センタービルには食材の仕入れでご厄介になっているし。それで初めてこの商店街が、あまちゃんで街おこしをしていることにも気づきました。まあ周りじゅう看板だらけでほとんど目立たないので、本気度は不明です。

ameyoko.jpg

 「無頼鮨」はどこかモデルがあるんだろうか? 小上がりとはいえ庭もあって、それなりのお値段そうな店だけど、アメ横周辺にはわれわれでも手が届く庶民的な寿司屋さんが多くて、そっちのほうしか知らないや。画面に写っていた電信柱の住所からいうと御徒町駅のすぐ近くなんだけど、あれはセットだしなあ……なんて狭い裏路地できょろきょろしていたら、背後から声をかけられました。ここでドラマだと種市先輩だったりするのかもしれませんが、フード・ラボのO澤所長。思いっきり不審人物。かなり恥ずかしい。

naporipandaburger.jpg さて、この流れで寿司の本の話へもっていきますと、たいへん自然で柴田書店のブログらしいのですが、私が釣られるのはいつも斜め上方の隅っこのところでして。ドラマで気になったのは、春子ママが万引き未遂のユイを「リアス」に引っ張り込んで、ナポリタンを出して言う「ほら、あばずれの食いもんだよ」てセリフ。じぇじぇじぇ、ナポリタンってあばずれ御用達なの? 浅倉南ちゃんが作ってくれるものって、この間のdancyuに載ってたじゃない! アメ横近くのロッテリアはナポリぱんだバーガーが限定商品なのに、こんなにかわいいのにそんな……。「昔のドラマや映画の不良がみんなナポリタン食べる」って、言ってたけど学校さぼって喫茶店に昼間っぱらからたむろしている不良ってことなのかしら……。でも、ナポリタン好きの不良って、たいしたことなさそう(笑)。

35332.jpg ちなみに吉川敏明シェフの『ホントは知らないイタリア料理の常識、非常識』によりますと、スパゲティ・アッラ・プッタネスカなら娼婦風だし、アッラ・ケッカならおかま風なんですが、アッラ・ナポレターノは不良風てのはありません。ナポリっ子に怒られちゃうよね。

 念のためにパスタばかりのレシピを1300以上集めた『新パスタ宝典』をひもときますと、ナポレタニーナ(napoletanina)っていうのがありました。これは肉や生ハムをトマトや卵と一緒に混ぜて生地を作り、ゆでたマカロニと一緒に器に入れて湯煎にかけるもの。スパゲティとは関係ないねえ……。

 さらに探すとスパゲティでなくてパスタだけど、「ナポリ風ラグーのパスタ、ヴェラーチェ」ってのが載ってまして、こっちのほうがナポリタンぽい。みじん切りのタマネギ、ニンジン、セロリを豚の脂で溶けるくらいまで炒めて、仔牛の腰肉を入れて、トマトのピュレとオリーブ油を加えて作るソース。水またはブロード(ブイヨン)を加えながらできるだけ時間をかけて煮まして、肉は取り出して別の料理に使います。ちなみにヴェラーチェ(verace)とは「本物の」という意味で、もっとも古い伝統的な作り方だからだそうです。真のナポリパスタ協会の承認つきなのかしら。

 ほかに「パスタのナポリ風、簡単なミートソース和え」っていうのもありました。こちらは煮込んだラグーじゃないので、調理法は「センプリチェ(semplice)」。野菜を炒めたら粗びきの牛肉を加えて軽く色づけてまして、マジョラム、ナツメグ、塩コショウを加えて、ワインを注ぎ、裏ごししたトマトの果肉(湯むきして薄切りにしてもよい)を加え、弱火にしてゆるま湯またはブロードで煮る……ってぜんぜん簡単じゃないし。

 こうした真摯な姿勢のソースに比べたらケチャップで麺に味をつけちゃうスパゲティナポリタンっていうのは、インスタントの極みだよねえ。恐らくトマト味のラグーで和えるナポリ風のパスタを作ろうとしたものの、保存がきいて手に入りやすいケチャップに頼った結果、生まれたのでしょう。じゃあそれはいったい、いつのこと?

 ナポリタン愛がこうじて、各地の特徴的なスパゲティナポリタンを訪ねたり、アメリカのハインツ社やケチャップの消費量の多いスウェーデンにまで足を伸ばしたルポ『ナポリタン!』は、『とことんおでん紀行』『カレーライスと日本人』といった先人のスタイルにならった労作なのですが、歴史考証の中途半端さは否めません。ケチャップで作るナポリタンは横浜のニューグランドホテルの入江茂忠シェフがGHQの将校のために作ったのが始まりっていう説をとっていますが、これは100%ありえないでしょう。だってケチャップ味のスパゲティナポリタンって戦前からありましたもん。

 『婦人之友』の昭和12年12月号ではうどん料理の記事で、うどんを代用して作る「スパケテナポリタン」を紹介しています。麺がうどんだなんて安い学食みたいだけど、日中戦争が始まってなんでもかんでも代用で節約が推奨された時期だからね。フライパンで豚か仔牛の肉100gと脂50g、ニンニク3片を炒めて取り出し(これも肉は別の料理に使います)、さいのめに切ったトマト小2個を入れて炒め、トマトケチャップを加え(トマトがないときには少し多めに)、月桂樹の葉2,3枚を入れて、シェリー酒5、6滴を落とします。湯(煮出し汁があればなおよし)でのばして、塩コショウで味をつけてできあがり。これをゆでたうどんにかけて、粉チーズをふります。

 所詮うどんなのに材料にシェリー酒なんて使ってお洒落さんなのは、料理研究家の趣味なのか、標準レシピなのかよくわかりません。解説には「これはイタリーでよくする料理で、これさへあれば他のものはいらないといふ人のある程そんなに美味しいものです」とありまして、れっきとしたイタリア料理とうたっております。スパ「ケ」テなのにね。

 これってうどんで作る特殊な事例じゃないの?と疑う向きには次の資料を。童謡作家、有賀連の作品集『風と林檎』(1932)にある「マカロニ」という子供向けの詩です。

 マカロニナノダヨ、コノ皿ハ    フォークニマイテル、アノヒトモ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、ミテゴラン   トマトケチャップガカケテアル
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、コノ皿ハ    タベルヨ、ボクハ、スキナンダ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、アノナベハ   マカロニナノダヨ、ヤハラカイ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ

 ずっとマカロニマカロニ言い続けてますが、フォークに巻いているのでロングパスタでしょう。戦前の資料を見ていると、マカロニを正しく「管饂飩」っていう身も蓋もない説明をしているものもありますが、今の「パスタ」のように総称として使っていたりもします。一コマ漫画でマカロニって言ってるのに、明らかにロングパスタが描かれているのもありました。ちなみに戦前の加工食品に関するお堅い資料だと、スパゲティという単語より英語からきた「ヴァミセリ」のほうがよく使われていたりします。

 さてこれは、童謡として書かれた詩に出てくるっていうのがミソでして、子供がマカロニという食べものがどんなものか知っているのが大前提となっていることを示しています。いまヴァミセリの歌ってのを作っても、大人にだってぽかんとされちゃうでしょ? 昭和7年の段階でパスタにトマトケチャップをかけるのがさほど珍しくなかったという傍証です。ナポリタンはデパートの食堂の洋食の付け合せとして生まれたという説もありますが、ニューグランド誕生説よりはずっと傾聴に値します。

 そろそろみなさん戦後の発明っていうのは変だということに気づかれたようで、入江氏よりも前にニューグランド初代料理長のサリー・ワイルが発明した説ってのもありますが、彼はスイス人でれっきとしたフランス料理のシェフなのに、わざわざスパゲティだのケチャップを使う必然性ってのが感じられないんですよねえ。むしろワイルや入江シェフが、日本人の好きなナポリタンを、ホテルで提供できる域まで高めたっていうのなら合点がいきますが…。

 ナポリタンってケチャップで甘酢っぱいので、不良というより子供の好物。柔らかくて食べやすいしね。カレーと並んで子供に人気ですが、それじゃあそもそもミートソースでもグラタンでもいいけど、スパゲティやマカロニがいつどのような形で日本人の舌に受け入れられるようになったかというと、これがどうもよくわからない。やたらうんちくを垂れるカレーと違って、この件に関してはみんな頬かむり。実際、いつの間にか素知らぬ顔で洋食屋のメニューにまぎれ込んだ感じでして、これを調べるのはかなり大変そう。

 例の魯山人は、1935年10月の『星岡』で、大正時代にマカロニを売りにした洋食屋があったと証言しています。「その頃「伊太利」とか云ふ洋食屋があつて、イタリー風の「うどん」を自慢にしてゐる料理人があつた。「ゑり治」の横邊りだつたか、三共の横邊りだつたかにあつた。二百種類位マカロニを拵へると云ふのでね。僕は毎日違つたのを作らせて毎日食つたもんだ」(星岡60号)。先生場所がちょっとうろ覚えですが、半襟屋のゑり治があったのは銀座竹川町、喫茶部もあった三共薬品は銀座尾張町でして、今の銀座5丁目から7丁目のあたりでしょう。彼いわく17年か18年前の上京した頃の話ということなので、大正前半のできごと。魯山人に無理やり毎日違うパスタ料理を作らされて、ついスパゲティをケチャップで和えちゃったりしなかったんでしょうかねえ。

 ケチャップってアメリカ人が好んで使うので、先の本で吉川シェフはナポリタンはアメリカ生まれで英語から来ているんじゃないかと想像していますが、アメリカでもスパゲティにケチャップを使う習慣はなくて、日本に来たアメリカ人がたまげているのをネット上で見かけます。やはり日本生まれじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。

kecyappu_manisu.jpg もっとも私もケチャップ自体はアメリカで生まれたものかと思っておりましたら、『トマトが野菜になった日』によりますと、そもそもこの言葉、魚醤からきているんですって。それが東インド会社経由でイギリスにわたって、19世紀のアメリカでトマトや砂糖が加えられるようになったとのこと。インドネシアでも「ケチャップ・マニス」(あまいケチャップ)や「ケチャップ・サンバル」(トウガラシソースのケチャップ)っていうのがありまして、アメ横センタービルでも買えますが、まさかこちらが正当後継者だったとは。

 ああ、それにしてもあまちゃん、最終回を平常心で迎えることができるでしょうか。だってだって、これが終わっちゃったら次の作品は、「食」がテーマなんですってよ、奥様! こわごわちょろっとNHKの公式HPを見たところ、「志村! うしろ、うしろ!!」の気分。ああああ、この時代設定、人物紹介! 地雷があちこちにてんこ盛りですよ(泣)。どうか神様、NHK様、珍説や思い込みを、もっともらしくストーリーにちりばめませんように…。


  
  

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投稿者 webmaster : 2013年09月26日 13:30