新版 ワイン基礎用語集
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Ⅱ■日本039ぶどう酒共同醸造所 -しゅきょうどうじょうぞうじょ山梨県に存在した日本最初のワイン醸造所。山田宥教(やまだひろのり)、詫間憲久(たくまのりひさ)によって開かれた。山田宥教が僧侶だったため大法院の境内に建てられ、境内の土蔵を改装して醸造場にしたと伝えられている。開拓使葡萄酒醸造所 1876年(明治9年)に日本政府の殖産興業政策によって、北海道・札幌につくられたワイナリー。1900年初めに廃業した。大日本山梨葡萄酒会社 だいにほんやまなしぶどうしゅがいしゃ山梨県勧業課の葡萄酒醸造振興により、勝沼町の実力者たちが発起人となり、1877年(明治10年)につくられた民間初のワイナリー。明治19年に生産量が減り、創業を停止した。別名、祝村葡萄酒醸造株式会社。現在のシャトー・メルシャン。合同酒精 ごうどうしゅせい1880年(明治13年)に神谷傳兵衛が浅草に開業した「みかはや銘酒店」を始まりとし、1903年に茨城県牛久にシャトーカミヤをスタートさせ、日本のワイン黎明期をつくった。寿屋 ことぶきや1921年(大正9年)に設立された洋酒メーカー。現在のサントリー。大黒葡萄酒株式会社 だいこくぶどうしゅかぶしきがいしゃ1934年(昭和9年)に大日本山梨葡萄酒会社から生まれたワインメーカー。31年に塩尻に進出した。珍陀酒 ちんたしゅ/ちんだしゅ室町時代後期から使われていたワインの和名。1551年に宣教師フランシスコ・ザビエルが大内義隆公にポルトガルワインを献上している。ポルトガル語のVinho Tinto(ヴィーニョ・ティント。赤ワインの意)に由来する。行基 ぎょうき/ぎょうぎ奈良時代の高名な僧侶。現在の大阪府堺市で生まれ、東大寺の大仏像造営に携わり日本最初の大僧正の位に就いた。718年に甲斐の国(現在の山梨県)に甲州種のブドウを伝えたといわれる。雨宮勘解由 あめみや・かげゆ1186年に甲州種のブドウを発見して栽培に成功し、源頼朝に献上したといわれる人物。甲州種のルーツは行基説とこの雨宮勘解由説の二説が存在するが、ともに伝説の域を出ない。大善寺 だいぜんじ行基の夢に現れた「葡萄を持った薬師如来」の像を刻んで安置したのが始まりとされる、勝沼ぶどう郷駅付近の寺。本堂は国宝に指定されている。別名「ぶどう寺」。川上善兵衛 かわかみ・ぜんべえ1868年、新潟県上越高田(現在の上越市北方)生まれ。品種交雑の中からマスカット・ベーリーA種をはじめ、川上品種群と呼ばれる約40種の優良品種を世に送り出した「日本のワイン用ブドウの父」。岩の原葡萄園を開いた。高野正誠 たかの・まさなり大日本山梨葡萄酒会社の社員として、25歳で土屋龍憲とともにワイン醸造を習得するため、フランスに派遣された人物。土屋龍憲 つちや・りゅうけん大日本山梨葡萄酒会社の社員。高野正誠とともにワイン醸造を習得するため、19歳の若さでフランスに派遣された人物。歴史
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