そばうどん知恵袋111
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188018641865「鍋焼きうどん」は江戸末期の大坂ではすでに、屋台での夜売りが行われていたが、いつ頃考案され、あるいは商品化されたものなのか、その正確なところはわかっていない。 いまのところ初出と見られているのは、慶応1年(の一つだった歌舞伎劇場・市村座で初演された『粋すい菩ぼ提だい禅さとの悟り野の晒ざらし』という芝居。大坂・四天王寺山門の前に担ぎの荷を下ろした夜そば売りが、客に「見かけない顔だが」と話しかけられ、「わしはこの間まで大坂名物えんどうまめを売っておりましたが、この頃流は行やる鍋焼きうどんにすっかり押されまして、それから宗旨を変えました」と語る。すると客は「何でもこの節は、お稲荷さまか鍋焼に限るぜ」。このセリフから、少なくとも元治1年(推測できる。 この上方での流行が東京へ移った時期もはっきりしないが、明治13年)12月の読売新聞に、東京で鍋焼きうどんを売る者は863人いるが、)には大坂で、鍋焼きうどんの夜売りがもてはやされていたと)正月、江戸三座「鍋焼きうどん」はいつ頃からあるのか?うどんの章品書き篇192(91
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