そば学
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「名は体を表す」といわれるが、「ソバ」という名は起源地や栽培地、性質をよく表しており、ソバの歩んできた道を教えてくれる。その語源はいろいろと調べられている。古文書では、「曽そ波ば牟む岐ぎ」(『倭わ名め類る聚じ鈔しう』931〜集』1444年)、「蕎そ麦ば」(『醒せ睡す笑しう』巻四/1623年、安楽庵策伝)などと記されている。「そま」とは、古代から中世にかけて建築資材確保のために権力者が所有していた山林のことで、「杣」と書かれてきた。とくに畿内の貴族や社寺の「杣」は荘園の一部で、比叡山延暦寺はそれを各地に多数持っており、比叡山の異名は「杣」であった。天台密教の開祖である最澄が中堂を788年に創建したときに、「我が入り立つ杣(私が住む山)」とあり、慈円が12世紀後半〜13世紀初頭に詠んだ歌にも「わがたつ杣(私が出家して住む比叡山)」(『小倉百人一首』95番)とあることからもうかがえる。これらのことから、「杣」のような山で栽培される畑作物を略して「そまむぎ」と呼ぶようになったと推察される。また、山の険しいところや崖は「岨そ」とか「そは」と呼ばれ、「嶮け岨そ」なことを「曾そ波ば」といったわんょいいいいゅょ38年、源順)、「そまむぎ」(『古今著聞集』巻12、巻18/1254年、橘成李編)、「喬麦」(『下学第1章 ソバのきた道12(1) 「ソバ」の名は山林や地形
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